ロシアとの北方領土交渉に深く関わった筆者の経験を元に、交渉術の原則や具体例が記述されている。信頼の醸成方法、罠への嵌め方、取引の仕方など項目は多彩だが、政治の実態を反映してか、基本的に「男対男の交渉」に限られている。少し気になるところではあるが、この点については何の言及もない。
もっとも本書には、交渉術をテーマにした北方領土交渉史といった側面があり、むしろそちらに力点が置かれているともいえる。日露関係について興味深いエピソードが満載だが、多くは佐藤の他の著作で既に書かれていることである。
巻末には「東日本大震災と交渉術」という小文が増補されている。「国家翼賛体制の確立を!」「大和魂で菅直人首相を支えよ」「頑張れ東京電力!」など、気の利いた煽り文句が並んでいて面白い。もちろん、佐藤の真意がもっと深いところにあるのは言うまでもない。一読の価値がある。
牧野洋・訳。副題に「世界を支配した研究所」とある。原題は "SOLDIERS OF REASON"、副題は 'THE RAND CORPORATION AND THE RISE OF THE AMERICAN EMPIRE'。
RAND は "Research ANd Development" の略であり、戦後の米国で、誕生後間もない空軍の主導によって創立されたシンクタンクである。その思想的モデルはマンハッタン計画に求められる。優秀な科学者の集団が国家安全保障=戦争の勝利に必須であるという考えは、原子爆弾の投下によって肯定的に証明された。
結局、一九四六年の三月二日に、ランドは正式に誕生した。その設立綱領は明確だった。そこには「プロジェクト・ランドは、空戦という幅広いテーマについて科学的な研究を行うという、進行中のプログラムである。研究の目的は、空軍にとって望ましい方法や技術、手段を推奨することである」と記してあった。
(第一章「「東京大空襲」からはじまった)
「空軍にとって望ましい方法や技術」の代表例が水爆であり、大陸間弾道ミサイル(ICBM)である。ランドはこのような兵器、戦略、戦術について膨大な研究を行い、提言を始めた。ごく初期の報告書において、既に宇宙空間の重要性を説くなど、その先見性は高い。
ランドの研究範囲は拡大を続け、やがては米国政府の政策にも大きな影響を与えるようになる。対ソ連核戦略に必要な諸々の理論や思想の多くがランドで開発された。すなわち合理的選択、ゲーム理論、フェイルセーフ、核抑止力、限定戦争などである。この枠組みを採用した米国によって米ソの関係が把握され、それはまた世界中の在り方を規定した。本書が「世界を支配した研究所」としてランドを挙げる所以である。
ランドとその出身研究者たちが、ベトナム戦争、宇宙開発競争、ソ連崩壊、第三世界、湾岸戦争、そして 9・11 テロに果たした役割と功罪については、実際に本書を読んでみてほしい。ランドが絶大な影響力を及ぼした分野は多岐に渡る(二十九人のランド関係者がノーベル賞を受賞している)ので、手短に要約できない。
米国におけるシンクタンクの重要性がよく理解できる一冊。
副題に「天才数学者の光と影」とある。
ポアンカレ予想とその歴史については、ジョージ・G・スピーロ『ポアンカレ予想』に詳しい。筆者自身が文中で何度も述べているように、本書の数学のレベルはお粗末である。
本書は、グレゴリー・ペレルマンに関係した人物がよく取材されている点に価値がある。ペレルマン本人へのインタビューは実現されなかったが、関係者の証言によって謎めいた彼の人物像が浮かび上がってくる過程は極めて興味深い。
ポアンカレ予想に立ち向かった他の数学者もよく描かれている。クリストス・パパキリアコプーロス、ウルフガング・ハーケン、ウィリアム・サーストンなどが特に印象深い。それぞれが研究者として異なる信念を持ち、異なる道を歩む様には色々と考えさせられた。
山下篤子・訳。原題は "THE EMERGING MIND"。
本書は、『脳のなかの幽霊』の著者による講演から書き起こされたものである。したがって内容は平明だが、科学的な詳細は省かれている。その分、一般的な話題や、大胆な仮定について多く語られている。個人的には、芸術に関する神経科学的な考察——もちろん証拠はないのだけれど——が興味深かった。