- 『ポアンカレ予想』ジョージ・G・スピーロ

2011/04/23/Sat.『ポアンカレ予想』ジョージ・G・スピーロ

永瀬輝男/志摩亜希子・監修、鍛原多恵子/坂井星之/塩原通緒/松井信彦・訳。副題に「世紀の謎を描けた数学者、解き明かした数学者」とある。原題は "POINCARE'S PRIZE" 、原副題は 'The Hundered-Year Quest to Solve One of Math's Greatest Puzzles'

位相幾何学の重要問題であるポアンカレ予想は、最終的にロシア人数学者のグレゴリー・ペレルマンによって肯定的に証明された。

ポアンカレ予想は面白い問題だが、それ以上にペレルマンという人物が興味深い。彼は学者の世界のあらゆる俗事(論文を書いて他者に評価されること、業績を地位や名誉として顕彰されることなど)を徹底的に厭う。証明を権威ある雑誌に論文として発表せず、有名大学のポストを断り、ポアンカレ予想を解決してからはフィールズ賞もクレイ研究所の懸賞金も辞退し——、最終的にはアカデミアから姿を消して、現在は祖国に戻り母親の年金で暮らしているという。

以前からこの人物に関心があったので本書を繙いた。前半はポアンカレの人生と、彼が確立した位相幾何学について詳述される。炭坑の技師(当時のフランスでは最高のエリート)であったポアンカレの活躍などは、彼の人柄がよく現れており、人物にも親しみが持てる。ポアンカレにはそそっかしい面があり、詳しい証明を省いた——しかもよく検討すれば実は欠陥のある——論文を発表することも時にあった。しかし、それは偉大な数学者であるという彼の評価を傷つけるほどのものではなかった。

後年、ポアンカレは後々のトポロジストを百年に渡って悩ませる問題を提起した。

球面は自明な基本群を持つ。基本群は分類体系として万能ではないかもしれないが、少なくとも自明な基本群を持つ物体ならどれも球面と同じなのではないか? ポアンカレもそう考えた。だが、何年か前にいい加減なことをやってから、少しは慎重になっていて、今回は自分の予想を定理だとは言わなかった。ポアンカレは第五の補足の最期の段落を「論ずべき問題がひとつ残されている」という控えめな一文で始め、"多様体の基本群が自明であり、かつその多様体が球面と同相でないことがありうるだろうか" というような問いを続けて発している。

これがかの有名な予想である。ご覧のように、予想というほどのものではなく、一見素朴な疑問だった。だが、言い回しからして、ポアンカレは正しい答えが「ノー」だと思っていたようだ。もう少しわかりやすくするため、この疑問を、のちに予想として知られるようになった形で、輪ゴムが取り付けられて巻き付けられた物体を使って言い直してみよう。「どのように掛けられた輪ゴムも一点に縮めることができる三次元の物体は、球面に変形できる」。つまり、三次元球面を識別するのに必要な情報は一次元ループだけでいいのではないかとポアンカレは考えたのだ。

(7章「あの予想の意図」)

輪ゴムの比喩は理解しやすい。また、直感的に予想が正しいようにも思える(ポアンカレ予想は高次の次元から証明され、三次元の証明が最後まで残った)。

以後、多くの数学者が証明に情熱を傾け……、たくさんの屍が積み上げられた。このあたりの歴史はフェルマーの大定理と似ている(サイモン・シン『フェルマーの最終定理』足立恒雄『フェルマーの大定理』、アミール・D・アクゼル『天才数学者たちが挑んだ最大の難関』)。

やがて、ハミルトンによって決定的な解決法が見出される。彼はリッチ・フローを用い、ポアンカレ予想の解決プログラムを提案するまでに至った。

こうして難物のポアンカレ予想を証明するための第一歩が踏み出された。リッチ・フローを使う証明戦略を示唆することで、ハミルトンは一大飛躍をなしとげた。つまり、ある領域(トポロジー)の問題を、別の領域の道具(微分方程式)で解こうと提案したのだ。

(11章「消える特異点、消えない特異点」)

このあたりの事情もフェルマーの大定理を彷彿とさせる(フェルマーの大定理は志村・谷山予想の解決から証明されるということがわかっていた)。

ペレルマンはハミルトンのプログラムに則り、幾つもの問題点を解決することで、最終的にポアンカレ予想を証明した。本書の後半で語られるこの過程は物語の白眉である。同時に起こった様々な騒ぎは学界の性格を如実に反映しており、研究者であれば考えることも多いだろう。

充実した索引と原注も付き、ポアンカレ予想を知るのに適した一冊である。