- Book Review 2010/09

2010/09/15/Wed.

『モンスターハンター 狩りの掟』『英雄の条件』『長の資格』の続編。

酒場に集ったジーグたちが、それぞれ思い出の狩りを語るというオムニバス形式の作品。回想には、これまでの作品で活躍した人物たちも登場する。

個人的には、第三章『砂漠の独眼(スナイパー)』の雰囲気が良かった。MH にとってガンナーは重要な存在だが、ゲームの仕様上、「スナイパー」として行動することは不可能である(一部のハメではそれっぽいこともできるが)。マタギのようにプレイしたいというガンナーの要望は今なお多い。本章は、そのような夢を実現した小品であるといえよう。

さて、四日に渡って小説『モンスターハンター』を紹介した。小説版 MH は他にもあるが、この四冊がいわゆる、ゆうきりん版である。掲示板などでは常に好評を博しており、確かに面白い。MH プレイヤーなら一読してみると良いだろう。

小説『モンスターハンター』は他にも氷上慧一版があり、同じくファミ通文庫から出ている。機会があれば手に取りたい。

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2010/09/14/Tue.

『モンスターハンター 狩りの掟』『英雄の条件』の続編。

主人公のジーグは、自分が属するパーティのリーダーと、狩猟方法についての意見が折り合わなくなってきた。ついにジーグは、パーティを離脱する決意を固める。今度は、新しい街で自らがリーダーとなってメンバーを募り、理想のパーティを構築するのだ——。しかしこれがなかなか難しい。

パーティにおける人間関係がよく描かれていて、この巻は随分と面白かった。MH はオンラインのマルチアクションゲームだが、そこで繰り広げられる人間模様は独特であり色々である。

「隊(パーティ)の隊長(リーダー)はあたしなのっ! どういう風に狩りをするか、それを決めるのは、あたしよ! 勘違いしないでよ!? あんたの隊じゃないの! あたしの隊よ!」

(第二章「旅立ち、ひとり」)

エルメリアの台詞に見られるような感情の爆発は、オンラインゲームではしばしば見受けられる。これをニヤニヤと笑って受け流せるようになると、ネットゲームが随分と楽しくなる。

ゲームは真剣にやるべきだが、本気になってはいけない。これは個人的な座右の銘だが、一方で、全く逆の考え方の者もいる。「モンハンは遊びじゃないんだよ!」という名言の存在が、MH を仕事にしている人の在り方を鮮やかに物語る。世の中には、様々な人種がいるのである。

もちろん、小説中のハンターたちにとって、狩りは「遊び」ではなく歴とした「仕事」である。したがって全員が真剣であり、それが当然である。そういう意味で、こと人間関係については、小説の方がよほどリアルであるともいえる。

そのような、ひねくれた読み方もまた楽しい。

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2010/09/13/Mon.

『モンスターハンター 狩りの掟』の続編。前作に比べ、本作では実際の狩りに重点が置かれている。

狩り場の描写が、ゲーム内のマップやエリアの忠実な「写生」になっていることが大きな特徴である。随分と不思議な手法だと思う。あるいは、このような「再現」こそがゲームのノベライズなのだろうか。

一般的に、ゲーム内でなされる描写は妥協の産物である。「本当は」もっと広大な世界が拡がっているのだけれど、マシンパワーや製作費、ゲーム・バランスなどの制約によって、様々なレベルで描写は省かれる。零れ落ちていく世界の構成要素を補完するために、オープニングや作中でムービーが挿入されたりする。MH とて例外ではない。MH の各種ムービーで描かれるフィールドは、ゲーム内のものよりもずっと広くて深い。

ノベライズするのなら、ゲームでも暗示されている、このような世界の奥行きをこそ小説化するべきではないのか。そこに作家独自の感性を織り込んでも良い(織り込むべきだろう)。けれども、本書で描かれる狩りの様子はゲーム画面の写生である。それなら小説にせずとも、ゲームをプレイすれば良いのではないか。そう思ってしまうのだが違うのだろうか。

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2010/09/12/Sun.

ゲーム『モンスターハンター』(MH)をノベライズした作品。枚数の関係もあるのだろうが、説明や描写の不足が多く、MH をプレイした経験がないと楽しむことは難しい。したがって本作は小説というより、いわゆるファン・アイテムと考えた方が良い。ファン・アイテムとしては充分に面白いので、MH プレイヤーならば読んで損をするということはないだろう。

駆け出しハンターのジーグ少年が、村から街に出てくる場面から本作は始まる。ひょんなことから(便利な日本語である)、訳ありのベテラン・パーティと一緒に狩りをすることになった彼は、様々な人々との出会いを通じて、ハンターの、モンスターの、そして「世界」の諸々を徐々に体得・感得していく——。

読者はジーグの成長を追いかけながら、自らも同時に MH の世界を体験していくことになる。特に、ギルドや王国に関する設定は、ゲーム内ではあまり描かれることがないだけになかなか興味深い。そういう意味で、ハンターの日常パートは貴重な情報に溢れている(このあたりがファン・アイテムっぽい)。

「あとがき」が愉快である。

何しろ、私は無類の『竜』好き。中国や日本の『龍』も、西欧の『竜』も、そして『恐竜』も大好きだったりします。

子供の頃から、恐竜展が開催、と聞けば、すっとんでいってかじりつき、巨大な骨に太古への思いを馳せておりました。

今も時々、東京は上野の国立科学博物館の恐竜の骨の常設展示を見にいったりもします。

(「あとがき」)

矢口真里っぽくて噴いた。

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2010/09/05/Sun.

『ローマ人の物語』単行本第XIV巻に相当する、文庫版第38〜40巻。

コンスタンティヌス大帝、コンスタンティウス帝と二代続いたキリスト教への優遇措置は、「背教者」ユリアヌスによって一時的にしろ揺り戻された。ユリアヌス帝がキリスト教の拡大を阻止せんとした理由は定かではないが、彼が哲学徒であったという事実が深く関係しているように思う。ユリアヌスの治世が長く続けばキリスト教の歴史もまた変わったかもしれない。しかし彼は若くして死亡する(謀殺の疑惑あり)。

その後、テオドシウス大帝と、彼を自分の影響下に置くことに成功したミラノ司教アンブロシウスによって、キリスト教のローマ帝国国教化が完成する。

この年[註・三八八年]、四十一歳になっていたテオドシウスは、反乱軍を制圧しそれを率いていたマクシムスを死刑に処した功績を背に、はじめて首都ローマを訪問する。とはいえこの人は、コンスタンティウス帝とはちがってローマの名所旧跡の見学にはいっさい興味を示さず、まっすぐに元老院議場に向った。そして、集まった議員たちを前にして、形式は質問だったが、内実ならば選択を迫ったのだ。皇帝は言った。

「ローマ人の宗教として、あなた方は、ユピテルを良しとするか、それとも、キリストを良しとするか」

(略)

討議がどのように展開したのかは知られていない。元首政時代のような、元老院の討議を詳細に記録して公表していた「元老院議事録」(アクタ・セナートス)は、それ自体からして成されなくなって久しかった。いずれにせよ、議員たちには、討議をどれだけ重ねようと、テオドシウスが求める回答を与えるしかなかったのである。議員たちは、圧倒的な多数で、「キリスト」を採択した。

(「第三部 司教アンブロシウス」)

宗教など「採択」するものではないと思うが、「国教化」自体がそも無理矢理な行為なのである。西欧の中世キリスト教社会が暗黒時代となったのは必然であろう。

本邦の国家神道や、宗教ではないが、共産主義やファシズム、ナチズムも同じ轍を踏んだ。内容云々以前に、排他的な主張は無理が祟って必ず衰退する。というよりむしろ、衰退した組織に排他主義が忍び寄るようにも観察される。もしそうなら、「排他や差別はいけません」という標語には大して効果がない、少なくとも国力なり社会なりが充実していない状況では無意味であろう。

いずれにせよローマ帝国は衰微していた。テオドシウスの死後、帝国は東西に二分割される。