本書で採り上げられているのは、以下の二十一話である。
何となくわかっているようで、指摘されるまではそれが問題とも思っていなかったような問題が提起されているのが面白い。
「石油はどの程度不足していたのか」「真珠湾攻撃を事前に知っていたのは誰か」「軍人恩給の計算はどうなっているのか」などは特に興味深く読んだ。
シベリア抑留に関して、『沈黙のファイル —「瀬島龍三」とは何だったのか—』では以下の記述がある。
つまり関東軍の狙いは「民族再興」のため、満州にできるだけ多くの軍人・居留民を残すことだ。その背景について元大本営対ソ作戦参謀、朝枝繁春が言う。
「日本の四つの島に押し込められては経済再建ができない。再起には資源がある大陸に、たとえ国籍を変えてもかじりついていることが大事だと考えた。邦人が残れば、拠点にして盛り返せると思った」
(「第四章 スターリンの虜囚たち」)
本書第十七話「大本営参謀は在満邦人をソ連に売ったのか」では、モスクワで発見された、朝枝による公文書「関東軍方面停戦状況ニ関スル実施報告」が紹介されている。
この文書は四部構成になっているが、「今後ノ処置」という項があり、その「一般方針」の中に次のように書いてある。きわめて重大な事実である。
「内地ニ於ケル食糧事情及思想経済事情ヨリ考フルニ既定方針通大陸方面ニ於テハ在留邦人及武装解除後ノ軍人ハ『ソ』連ノ庇護下ニ満鮮ニ土着セシメテ生活ヲ営ム如ク『ソ』連側ニ依頼スルモ可トス」
そして「方法」の第二項には、
「満鮮ニ土着スル者ハ日本国籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス」
これは何を意味するか。対ソ戦の停戦後は軍人、軍属、民間人は「ソ連の庇護下に」そのまま満州や朝鮮に土着してもいい、日本国籍を離れてもいい、と大本営参謀の朝枝繁春の名で出されていたのである。
(「大本営参謀は在満邦人をソ連に売ったのか」)
その後、朝枝の遺稿で、この命令が「作戦課長、作戦部長、参謀次長、参謀総長の諒解を得て関東軍総司令官に伝えられた」ことが明らかにされる。したがって、保阪はこの指令が「国家意思」であったと断ずる。書類上は、確かにそうであろう(無論、内閣や昭和天皇の意思とは異なるが。統帥権の問題がここにもある)。
なぜ関東軍は「満鮮ニ土着」しなければならなかったのか。保阪は、「大本営参謀のなかにソ連と手を結び、さらに中国の国民政府と終戦にもちこみ、満州国や朝鮮に日本軍将兵や民間人を移し、対米英百年戦争を企図する一派がいたという説」を紹介している。「複数の関東軍や大本営の参謀たちから、なんどもこの話を聞かされ」たという。もし本当だとするなら、朝枝がいうところの「経済再建」とは目的が異なる。
もっとも、ソ連が侵攻してくる混乱の中で出された朝枝指令が、関東軍の動向にどれほどの影響を与えたかはわからない。「関東軍総司令官の山田乙三がこの大陸指どおりに極東ソ連軍と停戦交渉したか否かは不明である」。
重要なのは、ソ連軍の満州侵攻が迅速だったため、関東軍は機密書類を処分できず、様々な文書がソ連側に押収されてしまったという事実である。一説によれば、モスクワに運ばれた書類は「貨車二十八両」分だったという。その中に、後に発見される朝枝指令も含まれていた。これらの秘密文書を、ソ連が有効に活用したという可能性はあるだろう。