- 『「兵士」になれなかった三島由紀夫』杉山隆男

2010/05/18/Tue.『「兵士」になれなかった三島由紀夫』杉山隆男

一九七〇年十一月二十五日、三島由紀夫は楯の会会員とともに、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で東部方面総監を監禁し、自衛隊員にクーデターを呼びかけた後、割腹して果てた。

いわゆる三島事件であるが、自衛隊への体験入隊から楯の会結成、そして事件に至るまでの行動を、「作家」三島由紀夫のものとして理解して良いのかどうか、一抹の疑問が残る。保阪正康は「三島事件」ではなく「楯の会事件」という呼称を提案している。

保阪の『三島由紀夫と楯の会事件』によれば、楯の会の会員たちは、決して「作家」三島由紀夫の文学に惹かれて集ったのではない。それどころか、三島作品など読んだことがない者も多数いたという。また、三島もそれをよしとした。

しかし、それだけで「楯の会事件」として良いのか。会員たちが三島に心酔しており、心身ともに一丸となって活動していたのは事実だが、果たして会員たちに独自の政治信条、確たる行動原理はあっただろうか。どうもそういう印象はない。

事件後、楯の会会員たちは、三島への想いを胸に沈黙を守り、政治的な行動は起こさず、市井の人間として堅実に生きているという。素晴らしいことだが、それは、事件の主体が「楯の会」ではなかったことを証明もしている。やはり事件の主体は三島、それも「作家」ではない人間・三島由紀夫なのである。だから、あの事件は「平岡公威事件」とするのが良いようにも思う。

本書は、三島由紀夫および楯の会会員たちに訓練をほどこした自衛官たちへのインタビューを基に構成されている。自衛官たちもまた、その政治的意見には同調できなかったにせよ、三島、否、平岡公威に敬意の念を覚え、互いに真摯な態度で交流を深めている。

体験入隊という名目だが、三島が自衛隊で受けた訓練は、それなりのメニューだったようである。三島は訓練を真面目にこなそうとしたし、教官や同僚も三島への遠慮はなかった。

のちに陸上自衛隊のトップである陸上幕僚長に昇りつめる冨澤暉は当時富士学校に勤務していたが、三島と一緒に風呂に入った同僚があとでこんなことを口々に言い合っているのを耳にしている。

「筋肉をつけても骨がちっちゃいから、あれは迫力ないわ」

中には露骨に馬鹿にする口調で「みすぼらしい」と言い放つ者もいた。

ふだんは三島のことを先生と呼んでいた山内も、いったん訓練に入ると、本名の「平岡」と呼び捨てにした。それが駈け足の場面ではつい声を荒らげることになった。

「平岡ッ、こら! 何やってるんだァ」

(第一章「忍」黙契)

本書には平岡公威事件に関する考察はほとんどない。ただひたすら、平岡公威の自衛隊におけるエピソードが列挙されている。それによって、三島由紀夫の風景もまた、生々しく起ち上がってくる。

巻頭には貴重な写真も掲載されている。書道のことなど一切わからぬが、三島の文字には感じるものがあった。