- 『わが友マキアヴェッリ』塩野七生

2010/05/16/Sun.『わが友マキアヴェッリ』塩野七生

塩野は「マキアヴェッリ」と表記しているが、読み書きしにくいので、ここでは「マキャヴェリ」で通す。

話は逸れる上、塩野に噛み付くわけでもないのだが、原語での発音を重視して、およそ日本語らしからぬ表記をカタカナで行うことに、いったいどういう意味があるのか。発音に忠実でいたいのなら、最初から "Machiavelli" と書けばよろしい。違うか。

さらに話は逸れるが、中国人名は日本式の発音をするのに対し、韓国人名がそうでないのは何故か。例えば「胡錦涛」を日本では「こきんとう」と発音するが、これは中国語の発音「ホゥーチンタオ」(©Wikipedia)とは違う。一方、「李明博」は「りめいはく」という日本式ではなく「イミョンバク」という韓国式で通す。日本式でいくのか、現地式でいくのか、どちらかに統一しろ。

それで、マキャヴェリだが(と塩野風に書いてみる)、不勉強にもこの人間がフィレンツェの官僚であったことを本書で初めて知った。『君主論』を始めとする一連の思想は、マキャヴェリの純粋な思索の結果ではなく、彼の見聞や行動や経験を通して得られた、むしろ「知恵」に近いものである。であるがゆえに実践的であり、現代に至るまで著作が残っているわけだ。

マキャヴェリは官僚としてどのような現実を生き、職を追われてからは何を考えたのか。これらの事柄を通じて、十五世紀から滅亡に至るまでのフィレンツェ史が語られる。副題に「フィレンツェ存亡」とある通り、本書の主役は都市国家フィレンツェである。

マキャヴェリが生きた時代のイタリア半島は、いまだ都市国家(フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマ法王庁、ミラノ、ナポリなど)が割拠する状態だった。当時、イタリアの周囲には、トルコ、フランス、ドイツ、スペインといった中央集権的な帝国が成立しており、歴史の大きな流れを後世から見て評せば、イタリアは「時代遅れ」だったといえる。

政体が安定し、法王庁とも一定の距離を置いていたヴェネツィアは曲がりなりにも独立独歩を保っていたが、法王庁と密接な関係を持つメディチ家という有力家系が存在し、フランス王の顔を窺い、自国の防衛は傭兵に任せ、チェーザレ・ボルジアの動向にやきもきし、共和制と僭主制を行ったり来たりする不安定な政情のフィレンツェには、行政・外交上の課題が山積しており、フィレンツェ共和国第二書記局書記官であったマキャヴェリは、外交官として問題の大小を問わずあちこちに派遣され、その椅子は暖まる暇もなかった。外交官であると同時に、彼は大統領の秘書官でもあり、行政官としても多大な仕事を抱える。どうもワーカホリックであったようだ。

マキャヴェリは優秀な官僚であったが、政策を決定する権限を持っておらず、また持とうともしなかった。それゆえ冷静に、権力の在り方、その行使のされ方を見つめることができたと思われる。この経験が、後に『君主論』その他の著作に生かされることになる。本書ではマキャヴェリズムの中身より、むしろその成立過程をよく知ることができる。マキャヴェリズムを知りたければ『君主論』を読めばよろしい。面倒ならば、塩野の『マキアヴェッリ語録』でも良い。

解説は全巻、佐藤優。自らの官僚経験をマキャヴェリのそれと重ね合わせているのが興味深い。