- 『日本共産党の戦後秘史』兵本達吉

2010/05/08/Sat.『日本共産党の戦後秘史』兵本達吉

私は共産主義に反対する者だが、一九九一年十二月二十五日にソ連が崩壊してから二十年、既に「反対」する価値すらない共産主義に対して、歴史的な関心は持っている。

その前に、共産主義に反対する理由を述べておく。

一つは、共産主義が理論先行型の思想であり、しばしば理論に則するように事実を歪曲して捉えること、また理論に沿うような事実を作り上げるために活動することが挙げられる。これは、事実から論理をもって理論を組み立てる科学とは正反対の思想であり、現実認識の方法として、とても受け容れられるものではない。政治や経済以前の、哲学的な問題である。

もう一点、これは歴史的な興味とも関連するのだが、日本共産党がコミンテルンの日本支部に過ぎず、外国人によってその方針が決定され、活動が「指導」されてきた事実は無視できない。自国民の意思が反映されない政党の存在理由とは何か。これも、経済以前の問題である。

共産主義の現実的な脅威を感じたことのない年代に生まれた私の態度は、反対というよりもむしろ無関心に近い。だから正確にいえば、私の歴史的関心は、共産主義にではなく、もっぱら日本共産党に向けられている。

ところで、「天皇制」という言葉はコミンテルンが作った用語の翻訳である。日本共産党が使うまで、こんな単語は存在しなかった。今やすっかり日本語として定着しているが、よく考えてみれば、天皇および天皇家の存在を「制度」として捉えるのは、日本史を顧みればいささか奇妙な感覚である。

日本共産党は「天皇制」を「粉砕」しようとした。主張自体は自由だから、否定も肯定もしない。しかし、日本史上の一大奇観であるには違いない。時代の権力者が天皇家を利用したり、天皇個人を幽閉や流刑に処した事実はある。だが、「天皇制の粉砕」を公言し、それを目的として活動を展開した勢力は存在しなかった。この点に興味を惹かれる。これは、「本邦の権力は、なぜ天皇家を抹殺しなかったのか」という日本史最大の謎の裏返しでもある。

本書の中身は題名の通りである。著者は長年、共産党の国会議員秘書として務めていたが、入党三十数年に至って突然除名され、本書の執筆に至ったという。にも関わらず、筆致は感情的ではなく冷静である。

前半では「戦前秘史」にも触れており、通読すれば日本共産党の歴史が一望できる。特に、著者が「武装蜂起の時代」と名付けた、いわゆる「五〇年問題」「極左冒険主義」についての記述は、未発表の資料が駆使されていて読み応えがある。

以下の指摘には蒙を啓かれた。

これまで、「五〇年問題」(軍事闘争)について書かれたものを読むと、朝鮮戦争がこの問題が起こったときの「環境」として描かれている。しかし、朝鮮戦争が「環境」だったのではなく、「軍事闘争」が朝鮮戦争の一部分だったのであって、朝鮮戦争のためスターリンや毛沢東などによって後方撹乱として企図せられたものである。

(中略)

「五〇年問題」とは、一九五〇(昭和二十五)年一月から、約五年半であると冒頭に書いた。さらに、この期間のなかで、「軍事闘争」「武装蜂起」に励んでいたのは、第五回全国協議会(五全協・一九五一年十月十六日)から、朝鮮戦争が休戦する一九五三(昭和二十八)年七月二十七日までの一年九ヶ月間である。朝鮮戦争が終わると日本共産党の「軍事闘争」もピタリと終わってしまった。

日本共産党の「軍事闘争」の目的は、朝鮮戦争の後方撹乱であるから、戦争が終わったらもはや必要がないからである。

(第三章「武装蜂起の時代」)

日本共産党に興味を持つ人は必読である。