- 『目利きのヒミツ』赤瀬川原平

2009/12/22/Tue.『目利きのヒミツ』赤瀬川原平

現代芸術論が良かった。

現代美術というのはコンセプトであり、作品物体そのものはいくらでも代替がきく、というのを原理としている。だから画家の手わざのオリジナリティが珍重されていた時代の芸術 (印象派とか表現派までの) とはまるで違う価値観で構成されている。

(中略)

河原温の日付けだけの作品などはそのわかりやすい典型ではないかと思う。キャンバスにその日の日付けの数字だけが、単色で、しかも無機的な活字体で描かれている。商品世界の考えでは、それは看板屋に頼んで手間賃だけで描かせればいいのだけど、しかしこれは商品ではなく芸術としてこそあるのだから、作家の河原温が描いたという保証を要求される。

(「3 現代美術と鼻の関係」)

これを突き詰めると、「つまり誰それが作った、誰それがおこなったというだけでぎりぎり芸術があるという状態」(「3 現代美術と鼻の関係」) となる。はて、芸術を創る人が芸術家ではないのか、芸術家が創ったから芸術であるとはこれ如何、という奇妙な撞着に陥る。私が前衛芸術やコンセプト・アートのほとんど全てに理解が及ばず、決して評価しないのはこの矛盾に起因するらしい。

私が上記の論を読んですぐに思い浮かべたのが『4 分 33 秒』という楽曲 (?) の存在である。理屈としてのコンセプトはわからないでもないが、「それを聴きたいと思うか。聴いて快い (あるいは不快である) のか」という疑問から前に進むことができなかった。それじゃあ我が部屋の 4 分 33 秒も芸術なのか? ——以前から抱いてきたこの子供っぽい疑問は本書で氷解した。『4 分 33 秒』はジョン・ケージという人が作曲したから芸術なのである。まことにつまらないものだと、私は思う。