- 『山県有朋』斎藤一利

2009/12/17/Thu.『山県有朋』斎藤一利

怪物的というか、妖怪じみたというか——、山県有朋という一個の人間が発するそのような気配の源泉を、いつかは正確に把握したいと思っていた。そこで手に取ったのが本書である。

山県の功績はよく知られている。長州奇兵隊で活躍した有朋こと狂介は、維新後、天皇絶対主義に基づいた全体国家を軍隊と警察によって成立せしめるべく、軍制と警察制度の確立、徴兵制、軍令と軍政の分離、帷幄上奏権、軍部大臣現役武官制、軍人勅諭、教育勅語、軍学校の設立、治安維持法などなど、無数の政策を陰に陽に駆使することで戦前の日本を形作った。

彼の功罪、特にその罪の部分は、結果論的に (主として大東亜戦争の敗北を反省する形で) 語られることが多い。しかし本書は、一貫して山県目線で物事が描写され、リアルタイムに時局が進行する形式で書かれている。筆致は淡々としているが、なぜそのときの山県がそのような行動に出たのかが——少なくとも山県の理屈としては——、よく理解できる。ここがまず新鮮だった。

山県の信念は徹底しており、人生を通して貫徹された。以下の逸話は、彼の天皇絶対主義がいかに「純粋」であったかを雄弁に物語る。

明治四十五年七月十日、東京帝国大学に行幸の天皇は、階段を一段あがるごとに足をそろえねばならぬほど、衰弱していた。にもかかわらず、天皇はきめられた行事のために、最後の気力をふりしぼってつとめた。七月十五日、天皇は枢密院の会議に出席した。このとき天皇は、それまで一度もなかったことであるが、もう堪えられぬほど弱っていたのであろうか、うとうとと仮睡した。山県は、議長席にあってめざとくそれを見つけると、軍刀の先で床を強く何度も叩いた。そのきびしい音によって、天皇を目覚めさせ姿勢を正させたのである。山県が尊崇したのは、かれの理念にそうような天皇でしかなかったのではあるまいか。

(第七章「勤王に死す」)

山県の理念は純粋に過ぎ、その行動は冷徹さを厭わぬ完璧主義によって実行された。周囲の人々はその心理を計りかね、彼を恐れた。

本書はそのような山県の内面を活写した、見事な一冊である。