- 『偽書「東日流外三郡誌」事件』斎藤光政

2009/12/16/Wed.『偽書「東日流外三郡誌」事件』斎藤光政

全ての史書は偽史的である——、という史書論 (偽史論) を立てることは可能である。何をもって偽史とするかは難しい。例えば神話を含む『古事記』は偽史なのか。『信長公記』と『徳川実紀』の記述が食い違うことをもって、どちらか (あるいは両方) を偽史とするのか。

そういう論を踏まえたとしても、『東日流外三郡誌』はお粗末に過ぎる。描かれている内容や使われている文言、筆跡から紙質に至るまで、あらゆる証拠が『外三郡誌』が戦後の創作であると証明している。偽史として非常に幼稚なのだ。孫引きになるが、民俗学者の谷川健一によれば「偽書としては五流の偽書、つまり最低の偽書である」。その詳細は本書に詳しい。

私が『外三郡誌』を知ったとき、真偽論争の決着は既に着いていた。それでも私が『外三郡誌』に興味を持つのは、この稚拙な偽書がなぜ多くの人間を惹き付けるのか (『外三郡誌』はオウム真理教の歴史観にも影響を与えている)、そして『外三郡誌』を含む膨大な和田文書を捏造した和田喜八郎の情熱はどこから生まれてきたのか、という疑問を覚えるからである。

鎌田彗が解説で鋭く指摘するように、『外三郡誌』が徹底的に否定されたのは「壮大な『三内丸山遺跡』が出現する直前、という時代の幸運もあった」。『外三郡誌』の「発見」が三内丸山遺跡の発掘と前後していれば、事態の推移はまた別のものになっていただろう。我々は、よくできた嘘にではなく、自分が信じたいと思う嘘にこそ騙される。その真理は、ゴッドハンド事件で鮮やかに示された。

本書は、『外三郡誌』事件を最初から最後まで追いかけた新聞記者による克明なルポルタージュである。『外三郡誌』とはいったい何であったのか。関心がある人は必読の一冊であろう。