- 『イケダ先生の世界』ベンジャミン・フルフォード

2008/10/25/Sat.『イケダ先生の世界』ベンジャミン・フルフォード

副題に「青い目の記者がみた創価学会」とある。

著者は『フォーブス』誌の元記者で、同誌に SGI (Soka Gakkai International) と SUA (Soka University of America) のレポートを書いたこともある。著者は、ヒッピー・カルチャーの影響下で青春時代を送り、仏教を学ぶために上智大学へと進んだという経歴を持つ。だから本書は翻訳ではなく、著者が日本語で書いたものである。

前半 2/3 を占める SGI のレポートが興味深い。創価学会および公明党については様々な記事や書籍が出ているけれども、海外で活動する SGI についてはあまり情報がない。著者は、SGIA (SGI of America) の会員や退会者へのインタビュー、SUA に対する取材、そして創価学会が米国で活動を始めた歴史的経緯について、客観的な態度をもって報告する。

他の仏教組織に比べ、創価学会がアメリカで比較的成功した理由は 3つある。

  1. 戦争花嫁 (進駐軍人と結婚して渡米した日本女性) の組織化
  2. 英語による活動 (他の仏教組織は日本語で、日本人・日系人を対象としていた)
  3. 日本の創価学会の全面的バックアップ (主に金銭面)

特に 1. と 2. は非常に興味深い。けれども、SGIA はある時期から停頓しているようだ。米国に対する政治的な介入も一時は試みたようだが、確固たる基盤がないのでとてもおぼつかない。

いくつかのポイントをおさらいしておこう。SGI の発展は停滞している。信者数 (T 註、実数は 2〜3万人と推測される) の増加は見込めないだろう。SGI の施設やアメリカ創価大学は、日本からの資金援助がなければ立ちゆかない。池田の最終目標はノーベル平和賞の獲得で、信者もそのために活動している。アメリカ創価大学は外見や施設は立派だが、本質は結局、アメリカで池田や創価学会の名誉を得る道具である。そして、アメリカ国内で政治進出する意図は SGI にはない——こんなところだろう。

(第3章「ガンジー、キング、イケダ」)

本書の後半 1/3 は、日本における創価学会および公明党の活動についてのレポートである。現状報告は少なく、過去の事跡の確認がほとんどである。その中で、以下のような資料が明らかにされる。

池田はこんな言葉も残している。

「邪宗などは、みんなうまいこといって金を巻き上げて、教祖のために、それから教団の勢力のために、それも、本当に人々が救えるなら許されるけれども、ぜんぶが地獄に落ち、民衆は教祖にだまされて、そして教祖は立派な家ばかりつくり、民衆は最後には、コジキみたいになってしまう」

「創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養願うようなことはいたしません」(以上、『聖教新聞』62年 6月 16日付)

池田の発言を調べる過程で分かったことがある。創価学会の機関誌『聖教新聞』は、現在 550万部 (公称) が印刷されているが、そのバックナンバーは "どこにもなかった"。限られた幹部のために縮刷版が存在しているという話は聞いたが、私はそれを見たことがない。

(略)

「ほかの立正佼成会や天理教は、全部教祖がふところに入れて、さもりっぱそうな大聖堂だとか、やれ病院だとか、こんどは天理教あたりは七階建てとかで、地下四階の大きい本部をつくって、東京進出のビルをつくるとか、そんなことばかりやっている。悪い連中です。本当に悪い。じっさい、宗教に無知な人が多いですから、みんなだまされて、カネを取られている。それで教団の勢力を張っているわけです。

私がこれから本部をつくる。それからいろいろと東京や関西にも本部をつくって、第一本部、第二本部とつくってきておりますし、これからもつくる準備もしておりますけれども、いっさい、皆さんからは永久に一銭もとらない、これが私の精神です」(同 62年 4月 16日付)

私には、"過去の池田" が "現在の池田" を批判しているように読める。あるいは、池田の「永久」という言葉には特別の意味があるのだろうか?

(第5章「政教一致の国、ジャパン」)

「池田大作は、なぜ変節したのだろう」と著者は問う。そのあたりの事情は複雑で色々と面白いのだが、それについては本書を一読願いたい。

著者は最後に一つの提案をしているのだが、それは実に当を得たものである。

池田がどうしてもノーベル賞を欲しいというなら、ひとつ提案したい。そもそも、いくら勲章や博士号を集めても無駄だ。そんなことよりも、ビル・ゲイツと同じようなことに励めばよいのだ。

(略)

どうだろう、イケダ先生——。

(略) 莫大な資産を世界中の拭こうな人々のために気前よく投じてくれたら、私はノーベル委員会に直談判してでも、あなたを受賞者にしてあげたいと思っているくらいだ。

(第5章「政教一致の国、ジャパン」)