- Book Review 2008/10

2008/10/31/Fri.

小尾信彌・訳。原題は "The First Three Minites"。

原著初版が 1977年といささか古いが、ビッグバン直後の宇宙の状態を平易に著した本書は、欧米では古典的な扱いになっているという。

本書が執筆された時期は、初期の宇宙はどのような状態であったのか、という極めて興味深い問題に解決の糸口が見えた頃でもある。1965年に 3 K の宇宙背景放射がペンジャスとウィルソンによって発見され (1978年ノーベル物理学賞)、ビッグバン理論に観測的な基礎が与えられた。そこから「理論によって」宇宙の歴史を遡る研究が盛んになる。いや、遡るために理論研究が活発になったというべきか。

開闢間もない宇宙は非常に高温であり、原子核などはもちろん影も形もない。エネルギーと質量の区別はほとんどなく、大部分がフォトン (光子) とレプトン (電子、陽電子、ニュートリノ、反ニュートリノなど) であり、粒子は互いに衝突しては消滅と生成を繰り返していた。このような状態では量子レベルの様々な力は区別ができない。この過程で、著者のワインバーグ (とサラム) は、電磁気力と弱い力とを統一し (電弱統一理論、1979年ノーベル物理学賞)、初期宇宙の描像に貢献した。

ちなみに、強い力についての理論が、今年ノーベル物理学賞を授賞した小林・益川理論 (1973年) であり、ワインバーグ = サラム理論と小林・益川理論を合わせたものが現在の標準理論である。しかし、この理論は重力を含む一般相対性理論については記述できない。そこで、重力を含めた理論として弦理論を提唱したのが南部陽一郎博士である。この理論は結局否定されるのだが、後年、超弦理論として復活する。その過程で例の対称性云々が関わってくる (らしい) のだが、このあたりになると俺の理解の範囲を超えてしまう。

——ともかく、本書はそこまで難しい内容ではない。初期宇宙の話が始まる前に、現在の宇宙像がどういうものであるのか、宇宙が膨張していることを示したハッブルの法則 (エドウィン・ハッブル『銀河の世界』に詳しい) から始まって、ビッグバンのアイデア、それを支持する宇宙背景放射が観測された歴史、粒子の種類とその性質などが易しく語られる。これらの充分な準備の後で、宇宙開闢 3分間の歴史が生き生きと描かれる。

ところで、宇宙背景放射は偶然に観測されたのだが、著者は「どうしてこの輻射を検出しようという系統的な研究が 1965年以前になかったのか?」(VI「歴史的なよりみち」) と問い、その理由について一章を割いている。これが非常に興味深い。背景放射については、観測以前に理論的な予測が報告されているにも関わらず、「予測されたマイクロ波輻射を誰も探ろうとはしなかった」。なぜか。

私たちの誤りはわれわれの理論をあまりに真剣に受け取ることではなくて、われわれの理論を充分真剣に受け取らないことである。私たちが机の上でいじっているこれらの数字や方程式が、実際の世界とかかわっているということを実感するのはいつでも難しいことである。いっそうよくないことには、ある現象は立派な理論的ないし実験的努力に値するテーマとはならないという一般的な了解がしばしばあるように思われる。

(略)

科学の成功がいかに困難であったかを理解することなしには、成功を本当に理解することができるとは私は考えない——惑わされるのはいかに容易であるか、どんなときにでも次になすべきことはなにかを知ることはどんなに難しいことであるか。

(VI「歴史的なよりみち」)

耳が痛い。

巻末には 1988年版および 1993年版の原著者追補が付され、その間の宇宙論の進歩についても述べられる。また、佐藤文隆による「解題」、著者による補遺、用語解説、数学ノートもある。古典に相応しい、充実した構成となっている。

2008/10/25/Sat.

副題に「青い目の記者がみた創価学会」とある。

著者は『フォーブス』誌の元記者で、同誌に SGI (Soka Gakkai International) と SUA (Soka University of America) のレポートを書いたこともある。著者は、ヒッピー・カルチャーの影響下で青春時代を送り、仏教を学ぶために上智大学へと進んだという経歴を持つ。だから本書は翻訳ではなく、著者が日本語で書いたものである。

前半 2/3 を占める SGI のレポートが興味深い。創価学会および公明党については様々な記事や書籍が出ているけれども、海外で活動する SGI についてはあまり情報がない。著者は、SGIA (SGI of America) の会員や退会者へのインタビュー、SUA に対する取材、そして創価学会が米国で活動を始めた歴史的経緯について、客観的な態度をもって報告する。

他の仏教組織に比べ、創価学会がアメリカで比較的成功した理由は 3つある。

  1. 戦争花嫁 (進駐軍人と結婚して渡米した日本女性) の組織化
  2. 英語による活動 (他の仏教組織は日本語で、日本人・日系人を対象としていた)
  3. 日本の創価学会の全面的バックアップ (主に金銭面)

特に 1. と 2. は非常に興味深い。けれども、SGIA はある時期から停頓しているようだ。米国に対する政治的な介入も一時は試みたようだが、確固たる基盤がないのでとてもおぼつかない。

いくつかのポイントをおさらいしておこう。SGI の発展は停滞している。信者数 (T 註、実数は 2〜3万人と推測される) の増加は見込めないだろう。SGI の施設やアメリカ創価大学は、日本からの資金援助がなければ立ちゆかない。池田の最終目標はノーベル平和賞の獲得で、信者もそのために活動している。アメリカ創価大学は外見や施設は立派だが、本質は結局、アメリカで池田や創価学会の名誉を得る道具である。そして、アメリカ国内で政治進出する意図は SGI にはない——こんなところだろう。

(第3章「ガンジー、キング、イケダ」)

本書の後半 1/3 は、日本における創価学会および公明党の活動についてのレポートである。現状報告は少なく、過去の事跡の確認がほとんどである。その中で、以下のような資料が明らかにされる。

池田はこんな言葉も残している。

「邪宗などは、みんなうまいこといって金を巻き上げて、教祖のために、それから教団の勢力のために、それも、本当に人々が救えるなら許されるけれども、ぜんぶが地獄に落ち、民衆は教祖にだまされて、そして教祖は立派な家ばかりつくり、民衆は最後には、コジキみたいになってしまう」

「創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養願うようなことはいたしません」(以上、『聖教新聞』62年 6月 16日付)

池田の発言を調べる過程で分かったことがある。創価学会の機関誌『聖教新聞』は、現在 550万部 (公称) が印刷されているが、そのバックナンバーは "どこにもなかった"。限られた幹部のために縮刷版が存在しているという話は聞いたが、私はそれを見たことがない。

(略)

「ほかの立正佼成会や天理教は、全部教祖がふところに入れて、さもりっぱそうな大聖堂だとか、やれ病院だとか、こんどは天理教あたりは七階建てとかで、地下四階の大きい本部をつくって、東京進出のビルをつくるとか、そんなことばかりやっている。悪い連中です。本当に悪い。じっさい、宗教に無知な人が多いですから、みんなだまされて、カネを取られている。それで教団の勢力を張っているわけです。

私がこれから本部をつくる。それからいろいろと東京や関西にも本部をつくって、第一本部、第二本部とつくってきておりますし、これからもつくる準備もしておりますけれども、いっさい、皆さんからは永久に一銭もとらない、これが私の精神です」(同 62年 4月 16日付)

私には、"過去の池田" が "現在の池田" を批判しているように読める。あるいは、池田の「永久」という言葉には特別の意味があるのだろうか?

(第5章「政教一致の国、ジャパン」)

「池田大作は、なぜ変節したのだろう」と著者は問う。そのあたりの事情は複雑で色々と面白いのだが、それについては本書を一読願いたい。

著者は最後に一つの提案をしているのだが、それは実に当を得たものである。

池田がどうしてもノーベル賞を欲しいというなら、ひとつ提案したい。そもそも、いくら勲章や博士号を集めても無駄だ。そんなことよりも、ビル・ゲイツと同じようなことに励めばよいのだ。

(略)

どうだろう、イケダ先生——。

(略) 莫大な資産を世界中の拭こうな人々のために気前よく投じてくれたら、私はノーベル委員会に直談判してでも、あなたを受賞者にしてあげたいと思っているくらいだ。

(第5章「政教一致の国、ジャパン」)

2008/10/22/Wed.

『ジョジョの奇妙な冒険 45 ストーンオーシャン 6』の続き。

緑色の赤ちゃんのスタンドが良い。

能力——緑色の赤んぼうに触れようと近づく者は 1/2 の距離に近づくと身長が 1/2 縮む。さらに 1/2 近付づくとさらに身長も 1/2 縮んでいく。はたして赤ちゃんに到達できるのか? その果てからやって来たスタンドがこれである。全ての正体は不明。

それから、『JAIL HOUSE LOCK』。

スタンド名——『JAIL HOUSE LOCK』
本体——ミューミュー

破壊力——なし
スピード——C
射程距離——刑務所の壁
持続力——A
精密動作性——なし
成長性——なし

能力——脱獄しようとして面会室より先の鉄格子または壁にさわった者はこの能力に『囚われ』る。

シンプルなんだけど、ひねってある。こういうスタンドは概して強い。実際、徐倫も苦戦を強いられる。

いや……、スタンドには「『強い』『弱い』の概念はない」(DIO) のだった。でもなァ、やっぱり「強い」「弱い」ってのはあると思うんだよな。

スタンドの能力という場合、普通はその「特殊能力」のことを指す。『ザ・ワールド』の「時を止める」、『ストーン・フリー』の「肉体を糸にする」などなど。けれどもそれとはまた別に、「肉体能力」(喧嘩力) とでもいうべき力がある。例えば『キラー・クイーン』は、同じ近距離パワー型の『クレイジー・ダイヤモンド』に殴り合いでは勝てなかった。この差は何だろう。本体の精神力の差なのだろうか。

基本的に、遠距離型は力が弱くてスピードも遅い、近距離パワー型はその逆、となっている。何となく座りの良い説明ではあるのだが、これは本当に妥当な設定なのだろうか。「特殊能力」がある事情で丸裸にされた場合、スタンドの殴り合いで決着が付けられるわけだが、そうなると近距離型 (大抵の主要キャラはこのタイプ) が圧倒的に有利となる。「特殊能力」を丸裸にすることのメリットにおいて、遠距離型と近距離型の間に著しい差が存在するんだよな。

つまり、「遠距離までスタンド能力が届くのは有利」という大前提が微妙に間違ってるわけで。「遠距離」といっても、それはあくまで本体とスタンドの間の距離であって、攻撃のときは結局「スタンド vs スタンド」になっちゃうんだよな。図にすると下のようになる。

[近距離型] 本体—スタンド vs スタンド ————————————本体 [遠距離型]

そりゃ肉体能力の高い近距離型が勝つよ、っていう。

2008/10/19/Sun.

浦本昌紀、寺田鴻・訳。原題は "EVER SINCE DARWIN"、副題は 'Reflections in Natural History' (「進化論への招待」)。

断続平衡進化説を唱えるグールドは根っからのダーウィン主義者である。一口に「ダーウィニズム」といっても色々と (それこそ社会学的なダーウィニズム [しばしば生物学とは全く関係ない] まで) あるのだが、グールドは良い意味でのファンダメンタリストというか。

ダーウィンが『種の起源』で述べている進化論の骨子は、

である (と私は理解している)。私は以前から「進化」という言葉に一抹の疑問を覚える (「言葉の対応」「進化と退化」) 一方、それを上手く表現することができていなかった (これらの議論は私の不勉強で非常に未熟である)。しかし本書の一節を読んで、まさに我が意を得た気分になった。

まず、思いがけない話からはじめることにしよう。ダーウィン、ラマルク、ヘッケルの三人は、それぞれ進化について論じたイギリス、フランス、ドイツを代表する十九世紀最大の学者だが、三人とも彼らの代表的な著書の初版では、エヴォリューション (evolution) という言葉を使っていなかった。

(略)

ダーウィンはこの言葉 (T 註、「進化」) をずいぶん稀にしか使わなかった。彼は、今日われわれが進化 (エヴォリューション) と呼んでいるものを、どんな進歩 (プログレス) とも結びつけたくないとはっきり考えていたからである。

ダーウィンはある有名なエピグラムの中で、自分が生物の形態を記すときに、「高等」とか「下等」とかいった言葉は決して使わなかったということを思い起こしている。なぜなら、もしアメーバが、われわれ人間が自分たちの環境に適応しているのと同じようにその環境にうまく適応しているなら、われわれのほうが高等な生きものであると誰が言うことができるだろうか。

(第3章「ダーウィンのジレンマ」)

一言でいえば「進化は必ずしも進歩ではない」ということだ。この進歩史観というのは、進化を考えるときに非常に邪魔なパラダイムである。

以下は別のパラダイムについて述べられた一節ではあるが、グールドの姿勢をよく示している。すなわち、

偏見に挑戦するには、その前にそれが偏見であることを認識しなければならない。

(第26章「姿勢がヒトをつくった」)

さて、本書の紹介が遅れた。

本書は「ナチュラル・ヒストリー・マガジン」に掲載されたエッセイをまとめたものである。一つ一つの短くも鋭いエッセイはそれ自体で完結しているが、配列の順序はよく考えられており、順番に読み進めることで議論が深まっていくのを見ることができる。

話題は多岐に渡る。

ダーウィンの進化論の解釈、古生物の進化の解釈とそれを支える地学の発展、進化論の科学史、そして社会学に適用される (されてしまった) ダーウィニズムとその問題、などなど。

グールドの処女作である本書には、彼の考え方の基本となる側面がよく現れていて、非常に面白い。

2008/10/18/Sat.

「つげ義春コレクション」の第1回配本。今月から 1冊/月のペースで、全9冊が刊行されるという。

本書に収録されているのは以下の 16作。

上記の順番でいうと、『ねじ式』から『窓の手』がいわゆる「夢もの」、『夏の思いで』から『日の戯れ』までが「若夫婦もの」となる。どちらも、つげの作品の中で最もよく読まれているであろう一群である。

夢もの

民家から機関車が出現するコマが有名な『ねじ式』、聾唖者の女将の台詞 (「ギョッギョッ」「グフッグフッ」) が印象的な『ゲンセンカン主人』が高名である。しかし俺は、夢の感じを出すために、意図的にコマのパースを狂わせた作品群、『コマツ岬の生活』『必殺するめ固め』『ヨシボーの犯罪』の方が好きである。『夜が摑む』は、その過渡的な段階の作品としても興味深い (この作品には若夫婦ものの要素もある)。

若夫婦もの

つげとその妻をモデルにした (と思わせる構造を持つ。実際はそうでもない) 作品群。若夫婦ものといっても、個々の作品は独立しており、一貫した設定があるわけではない。

妻が良い。彼女と、主人公である売れない漫画家の間には葛藤もないではないが、『無能の人』に見られるような家族の重さはない。いや、まだ『無能の人』はのほほんとしているのだが、『別離』とかはキツいんだよな……。

話が逸れた。とにかく、若夫婦ものにはある種の爽やかさがあって、それは妻のキャラクターに依る部分が大きい。個人的には夢ものよりも好きかもしれない。

2008/10/17/Fri.

歌田明弘が聞き手となって茂木健一郎が脳科学を語る——というスタイルになっているが、歌田は空気的な相槌を打つだけなので、ほとんどが茂木の語りである。読みやすいといえば読みやすい。

誰であったか、「茂木は脳科学者ではなく、脳科学のエヴァンジェリストである」と書いていたのを読んだことがある。随分と以前のことなので、ちょっと原典が思い出せないが、妙に納得した記憶がある。

茂木がクオリアを語るとき、俺はいつも小さな不審を覚える。彼が例に出すクオリアのイメージは、なぜいつも美的なものであるのか。これは非常に恣意的な行為ではないのか。

例えば、本書の「はじめに」で例出されるクオリアは、「チョコレートを舌に載せたときのまろやかな甘さ」「バターをつけたトーストを噛みしめたときのさくさくとした感覚」「はじめて訪れたレストランのドアを開けるときのなんとも言えないわくわくした感じ」「もう何年も会っていない友人のことを思い出すときにこみあげるなつかしさ」などなどなど、全部「美しい」クオリアなんだよね。

「電車で隣に座ったオッサンの強烈な体臭」「黒板を爪で引っ掻いたときに出る音」「アホがいちびっているときに感じる憎悪」などもクオリアであるはずなのだが、茂木はそういう不快な例を一切出さない。これって誘導じゃないの? といつも思う。

「脳のなかに棲む小さな神」

上の見出しは巻末に収録された「特別講義」(茂木の書き下ろし) のタイトルである。

クオリアは複合的な観念である。例えば、「赤いつやつやとしたリンゴ」を見たときに感じるクオリア、これがどのように感得されるのか。これはクオリアに関する最も難しい問題である。

「赤いつやつやとしたリンゴ」を見たとき、網膜から入った刺激によって、「赤」を感じるニューロン群、「つやつやとした」質感を捉えるニューロン群、「リンゴ」という形状を把握するニューロン群がそれぞれ発火する。この様子は MRI などで見ることもできる。では、これらのニューロン群の発火を「赤いつやつやとしたリンゴ」という概念として統合し、その独特のクオリアを感じる仕組みは何か。

脳の各部位を統合する、一段とメタなレイヤー、すなわち「脳のなかに棲む小さな神」(ホムンクルス) を仮定すればこの問題は上手く解決するとはいうものの、その機構は現状では未知である。

さて、以下は俺の疑問である。

例えば「カレーの香ばしい匂い」というクオリアがある。普段それは、「旨そう」「カレー食いたくなってきた」という反応を引き起こす。しかしたまたまヘビーな食事を済ませた後では、「おえッ」「カレー臭い」という反応を引き起こす。この場合、どういう解釈をすれば良いのか。

「カレーの香ばしい匂い」というクオリアは、化学物質が嗅覚細胞の受容体に結合することで引き起こされる。したがって、「カレーの香ばしい匂い」というクオリアの質は常に同じ (静的) であると解釈し、それに対する反応はホムンクルスが (動的に) 決定すると考えるのか。あるいは、「空腹時に嗅ぐカレーの香ばしい匂い」と「満腹時に嗅ぐカレーの香ばしい匂い」は、全く異なる (動的な) クオリアであり、それらに対するそれぞれの反応は「当然の結果」(静的) と考えるのか。これがよくわからない。

(茂木がこの問題を指摘しないのは、彼が例に出すクオリアがいつも「美的」であり、反応が「快」に限られるからではないだろうか、という疑念が俺にはある。彼の「素晴らしいクオリア」という前提は、いささか単純に過ぎはしまいか)

この問題を解決するには、クオリアを感じた瞬間のシナプスの結合状態や脳内化学物質の分泌状況をモニターする必要があると思われるが、現実的に不可能である。

静的なクオリアの感受に対して反応が動的に生起されるのか、それとも、クオリアの感じ方が動的であり反応は機械論的に発生するのか (あるいはまた全く別のモデルであるのか)。以上、本書を読んで抱いた俺の疑問を書いて、感想に代えておく。

2008/10/16/Thu.

副題に「新医師の誕生と国家試験の内幕」とある。『大学医学部 命をあずかる巨大組織の内幕』の続編である。本書の刊行は 1982年で、これは新設医科大学の最初の卒業生が国家試験を受けた・受ける時期でもある。

『大学医学部』の方でも述べたが、新設私立医科大学には、開業医の (しばしば出来の悪い) 子弟が莫大な額の寄付金とともに入学しており、この連中と、彼らに振り回される教育者 (= 教授陣 = 医者) の、ときに悲惨な顛末がつぶさに紹介される。また、国家試験の大学別合格率を元にした、詳細なデータ解析も行われる。

医師国家試験は専門家である医者によって構成される委員会が作成するわけだが、委員会のメンバーは東大医学部教授を中心とした医局主義の学閥の反映であり、これが厚生官僚の行政方針と密接に関係している。すなわち、医科大学の新設ラッシュに伴って「医者余り」の懸念が出始め、国家試験の合格率を左右することによって医師の数を調整しようという考えである (もっとも、著者のこの推測には証拠がない。さすがに言質が取れなかったというべきか)。

医学教育は「良い医者」の育成を目的とするべきであり、国家試験は「良い医者」の選抜・認定を理念とするべきである。しかし一部の大学では、とにかく試験合格率を上げることに汲々としており、医学教育の第一義がなおざりにされている。また、そこに付け込む予備校産業という存在もある。著者はこれらの実態について、豊富なインタビューを元にしたレポートを展開する。

一方、国民は、自らが望む「良い医者」像を明確に示すべきだ、という主張もなされている。ともすれば医学・医療制度の批判に偏重しがち (と俺が思ってしまうのは、当時と現在の状況が大きく異なるからであろう) な著者の主張の中でも、これはなかなかの至言である。文部省が定める医学教育の綱領、厚生省が実施する医師国家試験に明瞭な理念や原理が存在しないのは、「どのような医者が『良い医者』なのか」が判然としないからでもある。

もっとも、「良い医者」の定義は難しい。だが、医療が医者と患者の間で成立するものである以上、患者 (国民) にも意識向上が必要である (現在ではそれが行き過ぎている部分もあるように観察されるが)。著者が目的とするところはそこであり、本書はその啓蒙的な役割に資するものである。

2008/10/15/Wed.

副題に「命をあずかる巨大組織の内幕」とある。

単行本の発行が 1981年という古い本である。今は絶版かもしれない。したがって、当時の医療・医学状況は現在のものと異なる。1970年頃まで、日本の医者の数 (10万人あたり約120人) は先進諸国と比べて少なく、また地域医療の偏在という問題を抱えていた。これらの問題を解消するため、厚生労働省・文部科学省によって「一県一医大」構想 (1970年) がブチ上げられ、それから 10年余の間に、大学医学部・医科大学は 50校から 80校に、一年度に入学する医学部生は 4350人から 8120人に激増した。それで大丈夫なの? という問題意識が本書の通底している。

実際、新設私立医科大学では裏口入学が横行し、世間の耳目を引いていた。そこで著者は新設私立医科大学を中心に取材を進めるのだが、その過程で、旧態依然とした医学界の構造に直面する。医学界は GHQ による戦後の抜本的な制度改革を免れた分野の一つである。GHQ の改革が何でも良いというわけではないが、少なくとも革新の機会がなかったことは間違いないだろう。

非常に単純な図を描くならば、医学界には、大学病院を中心とする研究至上主義の医学者集団と、開業医を中心とする臨床医の集団があり、前者が後者を見下している構造があると著者は指摘する。前者の頂点に君臨し、全国の大学医学部 (新設を除く) の典型例でもあるのが東京大学医学部である。著者は、主に東大医学部の医局 (= 教授が主催する教室) の歴史と実態について詳しくレポートする。

一方、開業医は保険診療制度の下で経済的な利益を上げている。この既得権を (しばしば出来の悪い) 子弟に相続させたい開業医の思惑が、医科大学の新設ラッシュを後押しした。開業医は大金を注ぎ込み、これら私立医科大学に子弟を入学させる。そんな彼らが医者になるまでには様々な問題が噴出する。医者とは何か。医学教育とは何か。著者は医学部のカリキュラムの変遷などを通じて、これらの問題を明らかにしようとする。

——というわけだが、医学・医療の状況は目まぐるしく変遷しており、現況とは異なる部分もたくさんある (時事的な書物だから当たり前だが)。しかし、興味のある人にとっては、現在に至る歴史過程を示した良質の資料として読むことができるだろう。

2008/10/14/Tue.

副題は「流行と事件のアーカイブ 二〇〇四〜二〇〇五」で、これは「週間プレイボーイ」に連載されているシリーズである。このシリーズも長く続いてるよなァ。

2008/10/13/Mon.

「反哲学としての哲学」とは、ハイデガーの哲学のことを指している。

つまり、西洋哲学史を見なおすといっても、ハイデガーが考えているのはなんとも思いきったことで、彼はプラトン/アリストテレスからヘーゲルにいたるまでの西洋哲学の全体が間違っていたのではないか、少なくともおかしな考え方、不自然な考え方だったのではないかと考えているのです。しかも<哲学>と呼ばれてきたこの不自然な考え方が、西洋文化形成の青写真の役割を果たしてきた、そのため西洋文化が全体としておかしな方向に形成されることになった、とそんなふうに考えているらしいのです。

(「最終講義——ハイデガーを読む」)

既存の西洋哲学を否定する突破口としてハイデガーが考えたのが、存在 (と時間) というものの在り方である。西洋文化批判というパースペクティブは、ニーチェから受け継いだ。

ハイデガーは西洋哲学批判を目的として『存在と時間』を著したが、結局、出版されたのは導入部のみであり、主題となるはずの西洋文明の見直しはおろか、前提となる「存在一般の意味の究明」にすら到達できなかった。彼のこの「失敗」は、残された講義録などの研究から明らかになっており、また比較的よく知られていることである。

そこに含まれる哲学的な問題については割愛するが、そのような「失敗作」であるところの『存在と時間』が、なぜ 20世紀最大の哲学書として読まれたのか、読み続けられているのか。

この問題について著者は、当時のドイツ (『存在と時間』の出版はナチス台頭前夜の 1927年) の情勢と、そこで出版された「暴力的な書物」の分析を援用することで迫っていく。

ハイデガーの『存在と時間』にも、「無 (ニヒツ)」とか「無化する (ニヒテン)」といった否定の用語や「なぜ何も無いのではないのか」といった問いかけにうかがわれる——弁証法的に肯定を生み出すヘーゲル的否定などとは違った——どこか暴力的な形而上学的否定がひそんでいる。

こうして、現存の世界の終末を宣言し、新たな世界を予言するこれらの著作においては、当然言語の過激な革新が企てられる。第一次大戦のあの惨禍のあとで、ブルジョワ社会で使い古され擦りきれた偽りの言葉で語ることなどどうしてできようか。そこでは、言語を過激なかたちで新たなものにしようと企てられるのである。

(略)

この本は同時代の他の本と同様に、「直前の時代のドイツ人の言語を克服し、思い切った創作と忘れられた源泉への帰還と」によって「新しい言葉を鍛えあげた」のである。

(「最終講義・補説——『存在と時間』をめぐる思想史」)

元よりハイデガーなどまともに読んだことのない俺だが、『存在と時間』の成立した歴史的事情というか思想的文脈は、非常に面白く感じた。やはりテキストだけを引っこ抜いて読んでみてもよくわからんよな。歴史でも科学でも同じことだと思う。

2008/10/12/Sun.

「源平争乱編」の前に執筆された本書には以下の人物が登場する。

多いよ! 分量も 5頁/人しかないが、短い期間に膨大な人物を輩出した幕末という時代を反映しているようで、面白いといえば面白いかもしれない。

2008/10/11/Sat.

保元の乱から承久の乱までの間に活躍した人物の列伝。登場する人物は、

源義経〜木曽義仲まではそれぞれ 20〜30頁、藤原秀衡〜武蔵坊弁慶は各人 10余頁、それ以下の人物はそれぞれ数頁が割り振られている。特に後半 2/3 に登場する人物の頁数が少なく、列伝というよりはピックアップという方が近い。大体において読み足りないが、電車の中などで読むには良いかもしれない。

2008/10/03/Fri.

松本清張『昭和史発掘 3』の続き。本巻の内容は以下の通り。

いよいよ世相は渾沌としてきて、膨大な人物がそれぞれの陣営に登場しては盛んに動き出す。とても要約することなど能わぬ。

今更な話だが、このシリーズ最大の眼目は二・二六事件である。清張は二・二六事件を日本史の分岐点と考えており、本作で描かれる事象はその「前段階」というスタンスで述べられる傾向が強い。本巻からは、その匂いがいよいよ濃くなってくる。

「小林多喜二の死」

第1巻には「芥川龍之介の死」、第2巻には「潤一郎と春夫」があり、これらは作中における一服の清涼剤のような役割を果たしていたが、この「小林多喜二の死」は違う。多喜二は社会主義運動家 (後に共産党に入党) であり、それゆえに特高警察に検挙され、拷問によって殺された。多喜二の死は政治的な事件であり、芥川の自殺や谷崎の葛藤などとは位相が異なる。

プロレタリア文学とは何かという議論、あるいは多喜二の作品をその私生活と絡めて論評するなどは清張ならではだろう。文学と政治運動を結びつけた希有のプロレタリア作家・小林多喜二の人生が立体的に浮かび上がってくる。非常に興味深い。

「天皇機関説」

美濃部達吉の天皇機関説は 30年に渡って帝国大学で教えられてきた。そしてその卒業生が官吏となり、日本を指導してきたのである。それがこの時期、急に「機関説は不敬である」として問題にされた。機関説はそもそも憲法論であり政体論なのであるが、いつの頃からか国体問題として槍玉に挙げられるようになった。

背後には陸軍部内の統制派と皇道派の対立がある。さらにこれを利用せんとする野党と政府の攻防がある。この問題を影で扇動したのが平沼騏一郎であり、一部のファッショ軍人 (天皇を絶対神聖視する、良くいうなら純粋な陸軍下級士官および在郷軍人) がこれに躍らされた。またこの混乱を好機と見る打算的な皇道派将校の一団もあり、互いの思惑が錯綜して、機関説問題は制御不能な状態に陥る。

結局、機関説は否定されるのだが、これが後々、さらなる日本の右傾化を招いたのは云うまでもない。

天皇機関説はついに政治問題化した。軍部がそのファッショ的権力を推しすすめるために、同調者をして機関説を攻撃させていることとは離れて、政友会は単純にも岡田内閣打倒のみに機関説を攻撃したのである。愚かなる政友会、ただ目先の得物を追うて断崖に足をすべらせ政党政治を自滅させるのだ。

(「天皇機関説」)

昭和天皇は機関説をよしとされていた。

「理論をきわむれば、結局、天皇主権説も天皇機関説も帰するところは同一のようだが、労働条約その他債権問題の如き国際関係の事柄は機関説を以て説くのが便利のようである」

と仰せられた。

(略)

さらに陛下には、「憲法第四条『天皇ハ国家ノ元首』云々は、すなわち機関説である。これが改正をも要求するとすれば憲法を改正しなければならなくなる。また伊藤 (博文) の憲法義解では『天皇ハ国家ニ臨御シ』云々の説明がある」

と仰せられた。

(「天皇機関説」)

軍部は天皇主権説を唱えて、機関説を攻撃する。しかしこれは昭和天皇の意とするところではない。ここに強烈な矛盾が発生する。

「(略) 軍部では機関説を排撃しつつ、しかも、このように自分の意思にそむくことを勝手にしている。これは、すなわち、自分を機関説扱いとなすものではないか」

と仰せられたので、左様なことがあるはずはございません、これは天皇機関説に対する軍の信念を述べただけで、学説にふれることはこれを避けておるのでございます、と (T 註、真崎教育総監は) 申し上げた。

(「天皇機関説」)

無茶苦茶である。軍部の天皇軽視が、この頃からあからさまになってくる。同時にこの空気は、陸軍内に下克上の雰囲気を醸成した。内部の統制は加速度的に崩壊していくのだが、本巻はそこに至る前奏曲といった趣がある。

2008/10/02/Thu.

森達也の本は、彼の映像作品同様、「ドキュメンタリー」ということになっている。ノンフィクションとはどう違うのか。

複数の意見の折衷案からなるドキュメンタリーなど、本来はありえない。なぜならドキュメンタリーは「単独の視点」であり、「個的な世界観」を表出することにその存在理由があるのだから。

(「第1章 テレビから消えた放送禁止歌」)

確かに作中でも、森は様々な意図を含んだ質問を相手に投げ掛けては、興味深い言葉を引き出している。それは誘導尋問のように見えるかもしれない。けれども、そのときに森が考えていたことを併記することで、ギリギリの公正さを(読者には)保っている。そういう内幕暴露をも含めた部分が、森のいう「ドキュメンタリー」なのだろう。一応、筋は通っているように思われる。

さて、放送禁止歌であるが、実のところこんなものは存在しない。

便宜上ここまでの文中にも使ってきたが、「放送禁止歌」という呼称は実は正確ではない。正しくは「要注意歌謡曲」だ。民放連が一九五九年に発足させた「要注意歌謡曲指定制度」なるシステムが、放送禁止歌が存在する制度的根拠であり、規制の実体だ。ところがこのシステムの趣旨は、あくまでもそれぞれの放送局が、独自に放送するかしないかを判断する際のガイドラインでしかない。

[略]

まだある。「要注意歌謡曲指定制度」は、一九八三年度版を最後に消滅していた。効力は五年間と表記されているから正確には一九八八年、[略]「要注意歌謡曲指定制度」はその機能を完全に失っていたことになる。

砂上の楼閣どころではない。過去においても、そしてもちろん現在も、放送禁止歌は存在していなかった。噂されるほとんどの楽曲は記載されていないし、そのシステムはとっくに消えているし、何よりもそのシステムそのものに実体などなかったのだ。

(「第1章 テレビから消えた放送禁止歌」)

にも関わらず、「放送禁止歌は存在する」とメディア関係者の多くが思い込んでいる。なぜか。その最も有力な説は、「部落解放同盟による恫喝にも等しい抗議が来るから」である。しかしそのほとんどが、針小棒大に誇張された、いわば「伝説」に過ぎない風聞に依るものであることを、森は、メディア関係者および解同への取材を通じて明らかにする。

部落に関わりがあるらしいというだけで、放送禁止歌という死刑に等しい決定的な宣告をメディアは多くの歌に与えてきた。この無自覚な条件反射は、部落に生まれたというだけで蔑視の対象と見なし、人としての当たり前の権利や生活を強奪してきたこれまでの差別の歴史と、意識構造においては寸分たがわず重複する。

(「第4章 部落差別と放送禁止歌」)

痛烈といって良い。

メディア(ここで論じられるのは主にテレビ)離れが進んでいるという。俺など、ここ数年は意識的に触れないようにさえしている。けれども森はまだメディアに希望を抱いているようである。この本が書かれたのは二〇〇〇年だが、今も森はメディアを恢復できると思っているのだろうか。知りたいところである。

2008/10/01/Wed.

タイトルに小さく「対論集」とある通り、本書は井沢をホストとしたミステリー作家との対談集である。対談相手は、

の 3人。「また三氏から『創作の秘密』を聞き出した以上、私も同様に語らねば不公平と考えたので、(略) 私の話も付け加えることにした」(「文庫版のための序」) ということで、編集部を聞き手とした井沢の談話が巻末に掲載されている。

発行が 1995年といささか古い本なので、各対談で語られている内容は今読むと微笑ましいというか香ばしいというか。

それにしても高橋克彦の話はいつ読んでも何だか訳のわからぬ面白さがある。弘田三枝子のショーのパンフレットに書いた短編小説の話は爆笑ものである。

高橋 さすがに私も書き上げた後、「危ないかな」と思ったね (笑)。いきなり第一行が「ホモじゃないので、とりあえず安堵感が私を包んだ」ときたからね。リサイタルのパンフレットでしょう。ミコちゃんの歌を聴きに来た人たちが、そういうのを読むわけですから、これはちょっとまずいかなと思いましたよ。

(「高橋克彦——井沢元彦」)

ちょっとじゃねえだろ、ちょっとじゃ。