- 『私説・日本合戦譚』松本清張

2008/09/10/Wed.『私説・日本合戦譚』松本清張

俺は『武将列伝』を始めとする海音寺潮五郎の「〜伝」が大好きなのだが、それは、僅々数十余頁で浮き彫りにされる筆者の思考が興味深いからである。紙数が限られているので、筆を執る者の重点は自ずと絞られる。読む方も焦点を合わせやすい。このことは、あらすじが決まっている歴史という物語をなぜ何度も読むのか、という問題とも関係している。要するに、我々読者は「歴史の読み方」を読んでいるんだよな。

本書に収められている合戦は以下の通り。

島原の役、西南戦争が入っているのが面白い。松本清張は、菊池寛の『日本合戦譚』(池島信平の下書きによる) に影響を受けて本書を編んだらしい (「あとがき 菊池・池島『日本合戦譚』其他と『私説・日本合戦譚』との間」)。

清張合戦譚の特徴は、

  1. 積極的な野史の引用 (愉快なエピソードの紹介)
  2. 同時に行われる史料の批判 (正確な史実の追求)
  3. 現代社会、特に会社組織と大名家の対比

の 3つかと思われる。次の一節が典型的であろうか。

(T註・三方ヶ原の戦では) 果たせるかな、家康さんざんの敗北で、わずか旗本五騎で浜松城に逃げ帰った。夏目小左衛門が防ぎ死ななかったら家康もどうなったか分らず、彼の生還は奇蹟といわれたくらいだ。

家康は城門を開いて篝火を焚かせ、奥に入って湯漬けを三椀までお替りして大鼾をかいて寝たというが、家康を偉くする後世の御用史家の創作にすぎぬ。家康が本気で信玄と戦う気だったら、全軍体当たりで甲州勢に向かうはずだが、初めからなるべき損害を少くするように計算して出兵している。それでも、家康はこの敗戦によって多大な痛手をうけ、しばらくは意気銷沈、商売不振の中小企業のごとく吐息をついた。

(『長篠合戦』)

特に「現代社会、特に会社組織と大名家の対比」が独特で面白く、社会派作家の面目躍如といった感を覚えた。信長、秀吉、光秀の心理を忖度した『山崎の戦』は出色であり、「人使いのうまい信長だが、部下の心理を解することでは欠点があった」という一節には感銘を受けた。人材登用術と人身掌握術は別物である。当たり前のことだが、同一に論じられていることも多い気がする。

清張の「歴史の読み方」で一等愉快だったのが、西南戦争、そして西郷隆盛に対するそれである。

西郷はブルドーザーのごとく旧制度を破壊したが、緻密に鉄筋を組み立ててゆく建築家ではなかった。武人は敵の破壊が任務であって建設者ではない。「一介の武弁」とは山県有朋がいつも自己を評して口癖にいう言葉だが、山県にはまだ妥協性ががあり、政治性があった。西郷にはそれがなかった。彼は根っからの武人だった。

(『西南戦争』)

政治的社会的リアリズムを重視する清張の視点は、海音寺潮五郎や司馬遼太郎によって確立された理想の西郷像が広く受け入れられた今日からすると、意外と新鮮に感ずる。また、山縣有朋といえば、西郷を引き立てるために評されるという不遇の扱いが多いのだが、清張の評価はそうでもない。これも面白い。

「西郷の人情が鹿児島県人にのみ慕われる」(『西南戦争』) とも書かれてある。本書の初出連載は 1965年であり、司馬の『竜馬がゆく』(1966年)、『翔ぶが如く』(1975年) よりも早い。西郷の全国的な人気は、司馬以後に生じたものであることが窺われる。たまに司馬以前の歴史譚を読むと、「司馬以前・以後」なるものが本当に存在するんだなあと実感できる。これって結構危険だよな。

まァ、清張も、日本探偵小説史において「清張以前・以後」を現出させているのだが。