- 『ローマ人の物語 迷走する帝国』塩野七生

2008/08/30/Sat.『ローマ人の物語 迷走する帝国』塩野七生

『ローマ人の物語』単行本第XII巻に相当する、文庫版第32〜34巻。『ローマ人の物語 終わりの始まり』の続きである。

3世紀、北方からの蛮族の侵入が激化し、ローマ帝国に絶え間ない混乱が生じる。それを端的に表すのが、皇帝の目まぐるしい交代だ。本書の冒頭にもまとめらているが、211〜284年の 73年間に、実に 22人の皇帝が登極する。まるで平成の総理大臣のようだが、ローマ皇帝が負う責は日本の首相の比ではない。それがこの有り様なのだから、帝国の衰亡、推して知るべし。

以下、全ての皇帝について記すのは不可能なので、ターニング・ポイントになる (と俺が思った) 皇帝の事跡について書く。

前巻で登場したセヴェルス帝の跡を継いだのは、息子であるカラカラである。まず、彼が発した「アントニヌス勅令」によって、全ての属州民にローマ市民権が与えられた (212年)。現代から見れば開明的な法のように思えるが、あながちそうでもない。ローマ市民、属州民というのは固定された階層ではなく、極めて流動的なものであった。差別意識もない。実力と実績のある属州民は当然のようにローマ市民へと推挙された。この流動性 (特に属州民の上昇志向) がローマ帝国の人材活力の源泉の大きな部分を占めていたのだが、全員がローマ市民となることによってそれが徐々に失われていく。

カラカラ帝は東方パルティア王国との戦争でもたつき、皇帝警護隊の兵によって暗殺される。軍団の推挙によってマクリヌスが新たな帝位に就くが、以後、このような皇帝の廃位 (殺害) → 新皇帝の名乗り → 元老院の追認、が常態化する。皇帝は兵の誤解やヒステリーによって簡単に殺され、それまで聞いたこともなかったような人間が、急遽新たな皇帝として登場する。とても大帝国の皇帝を選ぶプロセスとは思えない。皇帝の威厳は坂を転げるように堕ちていく。

軍隊と元老院の乖離が激しいな、と一読して思った。両者を有機的につなぐのが皇帝の重要な役割なのだが、上記のような経過を経て登板した皇帝にそれを望むべくもない。また、軍隊と元老院 (これは現場と後方と言い換えても良い) の距離は、「制度的」にも隔絶されていく。ガリエヌス帝が制定した、元老院と軍隊を分離させる法律である (261年)。軍務で功績を挙げた者が元老院に議席を持つ、あるいは元老院議員の子弟がキャリアとして軍隊を経験する、というこれまでのローマでは普通だった経歴が、これ以後失われる。これもまた人材活力の低下に拍車をかけることになる。

東方ではパルティア王国が解体しササン朝ペルシアが勃興する。ペルシアはローマを地中海に追い落とすことを悲願として戦端を開いてくるわけだが、260年の戦争において、ヴァレリアヌス帝がペルシア軍に捕縛されるという前代未聞の事態が発生する。ローマ帝国は大混乱に陥り、ユリウス・カエサル以来「ローマの優等生」であったガリアがローマから独立してしまう。また、東方司令官オデナトゥスの没後、その妻ゼノビアが東方パルミアの支配権を握り、やはりローマから分離する (267年)。帝国は三分されてしまったのだ。

その間にも、毎年のようにゲルマン蛮族が侵入してくる。かつては防壁の外、つまり帝国の外で行われていた蛮族との戦闘も、ゲルマンの侵攻が激しくなるにつれて帝国領内で争われることが多くなる。ゲルマンはついにエーゲ海を侵入するようになり、地中海沿岸は彼らに荒らされる (252年〜)。

これら未曾有の危機は、からくもアウレリアヌス帝によって回避される。彼はパルミラを陥落させ (272年)、ガリア帝国を降伏させ (273年)、帝国の再統一を実現する。しかし、叱責した秘書に恨みを買われ、実につまらぬ方法で暗殺される (275年)。本巻に登場する皇帝からは、かつての皇帝が発していたような威厳・威光が全く感じられない。とはいえ、これはむしろ皇帝を受容する市民・兵士達の変化による部分が大きい。

元老院の機能不全、通貨の質の低下、社会の硬化には目を覆うばかりだ。そこに付け込むかのように、キリスト教が帝国内で勢力を拡大する。なぜキリスト教はローマ帝国内において迫害されたのか、いかにしてキリスト教は信者を増やしたのか、などなどについての論考も本書ではなされている。

この時期のローマ帝国は、まこと「斜陽」という形容が相応しい。現代日本にも通じる部分があるという点で、貴重な示唆に溢れている。