- Book Review 2008/06

2008/06/25/Wed.

副題に「戦後サブカルチャー偉人伝」とある。竹熊健太郎によるインタビュー集である。インタビューイは以下の 4人。

いずれも戦前生まれで、様々な戦中体験の後、戦後の日本で辣腕を奮った怪人物・異人である。彼らの言葉には言い知れないスゴ味がある。ロング・インタビューをそのまま対話形式にまとめたことが成功している。ノンフィクションの形でまとめられていたら、これほどの生々しさがあったかどうか。

糸井貫二ことダダカンという人物のことを、俺は本書で初めて知った。どうしてこのような人物の存在が、全く埋もれていたのか。とにかくスゴい。ダダカンを知る豊島重之の文章、「糸井貫二—直会肉談—このマッド・ストック」が本書で引用されている。孫引きになるが、その一部を紹介する。

六二 全裸松の木登り (京大構内)
ビニール袋逆さ一物 (大阪駅公安前。ビニール袋に入って裸踊り。事情聴取三十分)
逆さ一物 (大阪フェスティバルホール前。本書に連行され弁解書)

六三 アンビート中島由夫と裸体ハップ (第一五回読売アンデパンダン展会場の東京都美術館前。交番で事情聴取、厳重説諭)

六四 大トランク・ハップ (仙台アンデパンダン展会場の三越。仲間とともに全裸となり会場を出て市内に這い回る。機動隊まで出動、逮捕)
東京五輪性火白面フリチン走り (銀座四丁目。東京五輪の聖火ランナーに刺激を受け全裸で走り、逮捕。精神病院に強制入院一年間)

(『美術手帳』1970年 12月号特集「行為する芸術家たち」 豊島重之「糸井貫二—直会肉談—このマッド・ストック」)

一体どういう人物なのか。それは本書の貴重なインタビューで明らかにされている。

2008/06/22/Sun.

文庫版『ゴルゴ13』第114巻。

増刊59話『高度7000メートル』

ゴルゴが乗る飛行機や船はよく (ゴルゴの存在とは無関係に) ハイジャックされる。行く先々で殺人事件に巻き込まれる名探偵のようなものだ。

今回は、ゴルゴが登場した飛行機に爆弾が仕掛けられる。一定以下の高度になると爆発するという、映画『スピード』と同じパターン。Survive するゴルゴ、という意味ではシリーズお馴染のパターンでもある。

危険を冒して爆弾を処理しようとするゴルゴに、搭乗者の一人が声をかける。「関係のないあなたが、こんな危険を……」。それに対するゴルゴの回答。

危険は……爆弾が仕掛けられている限り、機内に居ても、同じことだ……それに、俺は犠牲になる気はない……自分が生き抜くために、やるのだ……

(増刊59話『高度7000メートル』)

第389話『害虫戦争』

穀物を主軸として描いた農業問題、経済問題はシリーズの中でも秀作が多い。特に、第176話『穀物戦争 蟷螂の斧』と、第180話『穀物戦争 蟷螂の斧 汚れた金』は名作の誉れが高い。

本作では、アメリカのトウモロコシが採り上げられる。トウモロコシは、コーンとして人間が食べる以外に、様々な用途で膨大な量が消費されている。食用油、糊料、そして畜産の飼料。アメリカの食生活はトウモロコシ抜きでは成立しない。日本におけるコメのようなものか。コメ同様、トウモロコシの新しい種子や品種の開発は重要な産業となっている。

自らが開発した遺伝子組換えトウモロコシを広めるために、ハイクロップ社は害虫を全土に散布しようと試みる。ハイクロップ社のトウモロコシだけがこの害虫に耐性を持つ。他のトウモロコシが全滅すれば、全土のトウモロコシはハイクロップ社の品種に置き換えられるだろう。独占販売というわけだ。

この害虫もまた、遺伝子組換えによって薬剤耐性を身に付けている。計画の阻止を依頼されたゴルゴは、どのような方法で害虫を全滅させるのか、というのが焦点。

バイオやコンピュータの話になると、途端にリアリティがなくなるのがゴルゴ・シリーズの悪いパターンだが、本作の解決方法は納得のいくものだった。良作。

増刊60話『原子養殖』

核兵器が拡散するのは、基本的に良くないことである。一方、核兵器が少数の大国によって独占されている状態では、国際社会の不平等はいつまで経っても回復されない、という事実もある。大国のエゴに押しつぶされる小国にとって、核兵器は一発逆転を可能にする魅力的なアイテムだ。

ウランの採取技術が発達し、核兵器の開発はどの国でもできる状況になりつつある。

第390話『黒い記憶』

登場人物の過去にゴルゴが関わっていた、というのはよくあるパターンだ。脳科学者であるマコーマー博士もまた、そうであるらしい。彼の記憶は一部閉ざされている。

US メディシン社は、マコーマーが開発した画期的な新薬によって、大衆メーカーから処方薬メーカーへの脱皮を計っていた。これを快く思わないのが医学界である。多種多様な大衆薬を認可させるため、US メディシン社は医者に研究を依頼し、医科大学に寄付をしてきた。

依頼人「"US メディシン" には、大衆薬メーカーとして、まだまだ稼いでもらわねばならないのです。処方薬メーカーへと変身して、世界的な評価を得てしまったら、医学界への寄付金が激減してしまう……」

ゴルゴ「医学界の顔色をうかがう、卑屈な大衆薬メーカーにとどまっていろ、と、いうわけだな……」

(第390話『黒い記憶』)

妙にリアルである。と思うのは俺の職業のせいなんだろうな。

2008/06/21/Sat.

澁澤龍彦が「異端」と認めた人物を描いた評伝。採り上げられるのは以下の 7名。

いずれも澁澤の鋭い文体と博識をもって、ユニークな解釈が試みられている。ルードヴィッヒ二世やジル・ド・レなどの有名人を除き、その存在を本書で初めて知るような人物も多かった (関係人物は特に)。書評をする知識もないので、気に入ったエピソードや、澁澤の文章を引用してお茶を濁す。

しかし、ピアニストとの関係は長く続かなかった。(T註・ピアニストの) 青年はブランコヴァン大公の邸で厚遇されるようになり、伯爵はかなり思い切った態度で、この浮気な青年との絶遠を申しわたす。その後、道で会っても伯爵は挨拶を返さなかった。そして、「十字架が道を通るとき、行き合うものはお辞儀するが、十字架にお辞儀を返されることを期待するものがあるだろうか」と彼一流の毒舌をふるった。

(「生きていたシャルリュス男爵——十九世紀フランス」)

キリスト教とは、もしかしたら、免罪を得るために必要とされる罪の要求、恐怖の要求かもしれないのである。

(「幼児殺戮者——十五世紀フランス」)

饗宴の食卓に銀製の骸骨を運ばせるトリマルキオー (ペトロニウス『サチュリコン』) の悪趣味は、生と死が交錯する瞬間の逆説を生き抜こうとした時代の選良の、よかれあしかれ危機意識に支配された、いわば健康な、力にみちた、偉大なデカダンスである。彼らにとって、消費の極地は富を享受することにあらず、富を破壊することにあり、奇妙にもその行為はみずからの社会の滅亡に貢献していた。

(「デカダン少年皇帝——三世紀ローマ」)

2008/06/20/Fri.

養老孟司と宮崎駿の対談本。宮崎が、

養老さんとは、ぶつかりようがありません。相違はあるにはありますが、それはそれでよかろうという範囲でしかありません。だから、対談をしても話があまり弾みません。そもそも、対談と呼べるものになっているのかどうかさえあやしいものです。

(宮崎駿「文庫版あとがき」)

と書いているように、それほど深い話は見受けられない。僅々百余頁の本文では、「自然とか教育って大事だよね」「ですよねー」という会話が続く。

『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』を作成中の宮崎が何を考えていたのかについて語られる部分など、興味深い面ももちろんある。また、理想とする教育・住環境を再現した宮崎のカラー・イラスト二十余頁が冒頭に付されており、彼のファンなら一見の価値があるだろう。

2008/06/19/Thu.

矢羽野薫・訳。原題は "Life at the Extreme"。

邦題を見て「雑学タイプの本かな」と思ったが、内容は硬派な生理学に基づいている。著者のアッシュクロフトは、オックスフォード大学生理学部の教授である。

ヒト (を含む生物) の身体は、どこまで過酷な条件に耐えられるのか、というのが本書のテーマである。ギネス記録の単なる羅列ではなく、どうしてそこまで耐えられるのか、限界はどこまでなのか、それを突破するテクノロジーとは、図らずも不幸な状況に陥ったときはどうすれば良いのか、などなど。これらの事柄が、生理学という学問を通じて軽妙に述べられる。

本書は以下の 5章からなる。

各耐性は、スポーツ選手、探検家、冒険家、宇宙飛行士などの (文字通り命がけの) 記録に基づき、生理学的に検証される。過去に行われた実験 (科学者自身が身を呈した多くの人体実験を含む) の歴史や結果も豊富に紹介される。生理学的な身体メカニズムから、現実問題への応用まで、興味を持って幅広く学ぶことができるだろう。

登山 (高山、雪山)、寒冷スポーツ (スキー、クロスカントリー)、陸上競技 (長距離走、短距離走)、水泳 (競泳、遠泳、素潜り、スキューバダイビング) などについては、優れたスポーツ生理学の本としても読める。これらの運動に興味のある向きは、一読をお奨めする。

最終章では、近年になって明らかになってきた細菌および古細菌について述べられる。これらの原始的な生物は、(ヒトから見れば) 極めて過酷な環境で、我々とは全く異なる代謝機構によって生存・増殖する。そこから得られる生物資源は、大きな経済的利益を生む。PCR に用いられる、高熱細菌の Taq polymerase は、その最も有名な例だろう。驚くべき機能を有する未知の生体物質が、思いも寄らぬ場所に生息する生命の中で育まれている。

生物の驚くべき生理・代謝の妙が味わえる良書。

2008/06/18/Wed.

『ジョジョの奇妙な冒険 41 ストーンオーシャン 2』の続き。

激闘の末に『フー・ファイターズ』を破った徐倫とエルメェスは、ついに承太郎のスタンド DISC を手に入れる。そして、そのことに気付いた「敵」こと『ホワイト・スネイク』の「本体」が遂に登場する。

第3部の DIO、第4部の吉良吉影と、ジョジョは「敵」本体の圧倒的な存在感に定評がある。第6部の「敵」エンリコ・プッチ神父 (この時点ではまだ名前まで明かされていないが) もまた、強烈な印象を読者に残す。

神父「人と動物の違いだった… それは「天国へ行きたい」と思うことだよ 人はそう思う…… 犬やオームにその概念はない 「天国」だよ 人は「天国」へ行くためにその人生を過ごすべきなのだ それが人間のスバらしさなんだ」

(「取り立て人マリリン・マンソン その 1」)

承太郎の DISC を取り返そうと、敵スタンドの攻撃が徐倫とエルメェスを襲う。それらを撃退、あるいはかいくぐりながら、徐倫は DISC をスピードワゴン財団に渡すため、刑務所中庭への到達を目指す。

その過程で新たな味方『ウェザー・リポート』が姿を現す。

スタンド名——『ウェザー・リポート』
本体——ウェザー・リポート

破壊力——A
スピード——B
射程距離——C
持続力——A
精密動作性——E
成長性——A

能力——天候を左右できる能力。天候といっても大きい規模とは限らない。半径 1 m 内の天候もある。

そういえば以前に、「ウェザー・リポートのゴゴゴゴ天気予報」というバカなブログ・パーツを作ったこともあった。それはともかく、『ウェザー・リポート』が起こす「小さな天気」の絵は、スタンドの描写としても斬新で非常に面白い。

あと、本書を読み直して、『キッス』の能力で物体を 2つに増やしたとき、「シール」されている方がオリジナルなんだなあ、ということに (今更ながら) 気付いた。

第6部は、荒木飛呂彦が第5部でやりたかった (けれど上手く表現できなかった) ことを新しくやり直した作品ではないか、と言われることがある。また、第6部はセルフ・パロディと思しき場面が幾つもある。

本書の範囲ならば、ミラションとそのスタンド『取り立て人マリリン・マンソン』が好例である。「賭け」が成立したときにミラションが放つ「グッド」の台詞は、第3部のダービー兄弟のものだ。「相手の心の弱点を見つけたら、とにかく何が何でもカネ目のものを取り立てる。マリリン・マンソンに取り立てられたら、隠し事はできない」という『マリリン・マンソン』の能力は、第4部の小林玉美とそのスタンド『ザ・ロック』を思い起こさせる (岸辺露伴が東方仗助のイカサマを見抜くために小林玉美を呼んだエピソードは、本書で繰り広げられる徐倫とミラションの心理戦を彷彿とさせる)。

意地悪く考えれば、ユニークなスタンドのアイデアが枯れてきたということになる。それが事実かどうかは、読み進めていく過程で明らかになるだろう。

2008/06/16/Mon.

文庫版『ゴルゴ13』第113巻。

第386話『少女サラ』

ゴルゴが他者に親切なとき、それは大抵、彼の仕事のための餌なり囮として利用するためである。読者もそんなことは百も承知である。

この種の「餌もの」「囮もの」の読みどころは、餌や囮にされた人間がゴルゴをどう見るか、という点にある。また、ゴルゴが、餌や囮に対してどのようなアフターケアをするのかも注目だ。

本エピソードのタイトルにもなっているサラは、基本的に善意の第三者としてゴルゴに利用される。このような場合、利用された者はゴルゴに感銘を受ける場合が多い。そしてゴルゴは何らかの報酬を与える。

サラは何を見て、何を受け取ったのか。という、ちょっと良い話。ゴルゴの狙撃は平凡。

第387話『戦域ミサイル防衛 TMD幻影』

戦域ミサイル防衛 (TMD; theater missile defense) 構想についての話。

TMD については現在でもまだまだ技術が未成熟で、とても実用的であるとは言い難いのが現状のようだ。北朝鮮から撃たれたテポドンが迎撃もされずに日本海に落ちた、という事実もある。それでもアメリカは熱心に開発を続けているし、日本の技術と金がそれを支援している。中国を仮想敵とした場合、日本という島国にとって、TMD の発想自体はあながち間違いではない。

台湾の地理的・政治的・軍事的な状況も日本に似ている。台湾も TMD に一枚噛みたい。というのが事実であるかどうかは知らないが、少なくとも本エピソードではそうなっている。

本作の読みどころは、右手が震えるというゴルゴの持病についてだろう。第34話『喪女の似合うとき』で発症したこの病気は、とりあえず心因性のものと診断された。そして第57話『キャサワリー』で再発する。その後、この奇病が現れることはなかったが、本作で三度発症する。また、ゴルゴが台湾において漢方の処方を受けている事実が描写される。

台湾の漢方屋の老人「また……例の病状が現れたか……お前さんのように原因不明の病の多くは、心因が作用している。緊張感の連続は、止めた方がいい……と、お前さんに言ってもむだな事じゃな……いつもの通り、十五種類の薬草をブレンドしているからな」

(第387話『戦域ミサイル防衛 TMD幻影』)

この持病以外にも、ゴルゴの右腕は何度となく危機に見舞われている。非常時を想定して、ゴルゴが左手で狙撃の練習していることは有名だ。本作でも、左手によるトレーニング、そして実戦を披露している。

第388話『ダブル・ミーニング』

ハリウッドの映画は、アメリカ覇権主義のためのプロパガンダである、という話。この主張については、虚実入り交じった面白い話が色々とある。これに、狙撃手探知システム (SADS; small arms detection system) を絡めた、エンターテイメント性の高い作品になっている。

SADS については日本語でロクな情報がなかったので、架空の設定かと思ったが、どうやら実在のもののようだ (メカニズムは作中で述べられているものと少し異なるが)。

SPOTLITE is an electro-optical system designed to pinpoint the location and sources of small arms fire. (中略) SPOTLITE analyses the fire sources detected, verifying that each source is actually enemy fire.

By rapidly closing the sensor-to-shooter loop targets can be processed within relatively short "window of opportunity" characteristic of urban warfare scenarios. When required, the system can translate target data into coordinates for other shooters, or mark the target with a laser marker.

(Spotlite - Electro-Optical Small-Arms Fire Detection SYstem - Defense Update)

自衛隊はこんなシステムを持っているのだろうか。

2008/06/14/Sat.

木原武一・訳。原題は "The Keys of Egypt"、副題は 'The Race to Read the Hieroglyphs'。

邦題はおかしい。「解読」されたのはヒエログリフという古代エジプトの文字体系であって、ロゼッタストーンではない。原題にも "Hieroglyphs" の文字はあるが "Rosetta Stone" とは書いていない。ロゼッタストーンは確かにヒエログリフを解読するための「鍵」ではあったろうが——と思えば、実はそうでもないらしい。

この段階ではシャンポリオンはロゼッタストーンの碑文をあまり利用していなかった。彼はその翻訳を発表していなかったし、この面倒な仕事に挑戦者があらわれるのは数十年後のことである。ロゼッタストーンが重要なのは、そこにヒエログリフを含む三つの言語が併記されているからであった。このことが解読の手がかりとなるものと考えられ、ヒエログリフの新たな研究の刺激剤となった。実際にはロゼッタストーンのテキストは使用に限度があった。というのは、シャンポリオンが『ダシエ氏の書簡』で指摘したように、そのヒエログリフはだいぶ破損していたからである。「ロゼッタストーンのヒエログリフ・テキストはそれほどこの研究には役立たなかった。というのは、その破片から読み取れたのはプトレマイオスの名前ひとつだけだったからである」。ロゼッタストーンは解読志願者の注目の的となり、その碑文は寄せられた期待に応えることはできなかったものの、いまだに一般によく知られたシンボルとなっている。しかし、解読の手がかりを与えるものとして、これよりはるかに重要なのは、他の碑文やパピルスだった。

(第八章「秘密を解いた者」)

本文にこう書いてあるのだ。どうしてタイトルに「ロゼッタストーン」の文字が含まれるのか、僕は全く理解できない。

ヒエログリフは横書きでも縦書きでも良い。本書は縦書きだが、文中のヒエログリフは横書きのものを回転させて使っている。恐らくこれは、ヒエログリフの著作権と関係しているのだろう。

すべての図版の著作権は次の三点 (T註・いずれも写真) を除いて「レスリー & ロイ・アドキンズ・ピクチャー・ライブラリー」にある。

(「謝辞」)

したがって、原版にあるヒエログリフの画像 (横書き) を日本語に合わせて縦書きに変換できなかったものと思われる。しかしそれなら、本書を横書きで出版したら良いではないか。最近は、数学を始めとする理科系の文庫では随分と横書きのものが増えてきた。内容の正確性を期すためにはそうするより他はない。ヒエログリフもまたしかり。文献学とか考古学では、どれだけ現物 (original) に忠実であるかが最初にして最大の課題だろう。どうしてこのようないい加減なことをするのか、僕は全く理解できない。

と、ひとくさり出版社に文句を垂れたところで本題に入る。

ナポレオンのエジプト遠征

ローマ時代以降、エジプトは長らくヨーロッパに対して閉ざされていた。エジプトと欧州が再び接触するのは、ナポレオンによるエジプト遠征 (1798年) によってである。実に千年間、両者に交流はなかった。

ナポレオンは遠征に大勢の学者を伴っていた。これによってエジプトの文物が欧州に持ち帰られた (その中にロゼッタストーンもあった)。本書の冒頭では、このくだりが詳しく描写される。革命前夜の欧州がどうであったか、何故にヨーロッパ人はエジプトに熱狂したのか、初期のエジプト学がいかに粗末であったか。などなど。

ジャン = フランソワ・シャンポリオン

後にヒエログリフを解読することになるジャン = フランソワ・シャンポリオンは 1790年 12月 23日にフランスで生まれた。彼は幼い頃から異常な語学センスを示した。家は貧しかったが、その才能を認めた歳の離れた兄、ジャック = ジョセフは早い時期から常に弟を支援する。兄の物心両面に渡る支援は、弟の生存中、そして死後まで一貫して続いた。これは兄弟の物語でもある。

シャンポリオンは典型的な天才型の人物で、身体が弱く癇癪持ちだった (しかし講義や講演は卓抜していたらしい)。時代は悪かった。ナポレオン政権の誕生と衰退、王政復古にともなう王党派どうしの対立など、シャンポリオンが生きた時代のフランスは政情不安定であり、政府が変わるたびに兄弟の生活は翻弄された。シャンポリオンはいつも金欠に悩まされた。

そんな彼を捕らえて離さなかったのが、古代エジプト語の解明という夢であった。そのために彼は、若い頃からコプト語 (古代エジプト語でほぼ死後) を修得するなど、準備を進めてきた。他のヒエログリフ解読者が、まるで暗号を解くかのように作業を進めていたのに対し、シャンポリオンはあくまで言語、それも歴史や文化を含む「生きた言葉の体系」としてヒエログリフを理解しようとした。

解読の過程で、シャンポリオンは様々な妨害に遇う。資料の入手、出版物に対する批判、アカデミー会員への推挙、生活基盤となる各種学問的ポストへの就職、などなど。シャンポリオン兄弟は何度となく苦境に見舞われる。特にイギリスの研究者、トーマス・ヤングとの対立は根深く、この問題は現在までも尾を引いているらしい。

それでも、シャンポリオンのヒエログリフ解読法があまりにも優れ、しかも翻訳が正確だったので、彼の業績は徐々に認められていった。晩年には国王の援助で、人生の念願であったエジプトへの研究調査にも赴いている。現代エジプト学の源流は、シャンポリオンによるこのエジプト探査行にあるといって良い。

エジプトから帰国して僅か 2年、シャンポリオンはその膨大な研究成果を出版することもなくこの世を去った。41歳だった。彼の著作は、兄ジャック = ジョセフの献身的な努力によって出版された。これによって、人類はヒエログリフに描かれていることを知り、3千年もの間、幾つもの王朝が盛衰したエジプト文明の全容を学んだ。

研究のこと

本書には、ヒエログリフ解読の詳細は書かれていない。どちらかというと、シャンポリオンの伝記といった方が良い。

科学的な思想がいまだ前近代の鎖に縛られていた頃、一つの卓抜した研究が広まり、その価値を認められ、研究者に栄誉が与えられるまでには、バカバカしいほどの障壁が山のように立ちふさがっていた。シャンポリオンのように、不遇の内に生を終えた者も少なくない (そういえばシャンポリオンとガロアは同時代の人である。ガロアもまた不幸な形で人生を終えた)。

この点において、少なくとも現代は随分とマシになった (ように観察される)。iPS 細胞のニュースなんかは記憶に新しいところだ。人類は進歩しているなあ、と実感できる。バカみたいな話だが、そういうことが妙に嬉しいのだ。

恵まれた時代に研究をしているのだから、少々のことは我慢して努力しないとなあ。といつも思うのである。

2008/06/11/Wed.

工作を主題としたエッセイ集。当たり障りのない内容が多いが、唯一、「飛行機の証明」と題された回にだけは鬼気迫るものを感じた。いわゆる「趣味に狂う者」の生活や心情が、悪びれもなく (かといって開き直っているわけでもなく) 恬淡と綴られる。その態度に凄みを感じる。

子供は年子だったから、僕の奥さんはとても大変だった (と簡単に書けるのは、その大変さがわかっていないからだ、と奥さんは言うだろう)。たまに大学を休める日曜日 (といっても午前中の半日だけだが) になると、僕は車に飛行機を積み込んで、片道一時間もかかる模型飛行場へ出かけていく。僕の奥さんは、慣れない車の運転をして、小さい子供たち二人を乗せて、僕の車のあとについてきた。僕の車には大きな飛行機が載っているから、もう人が乗れないためだ。そして、飛行場で、僕が飛行機を飛ばしている間、奥さんは子供たちを近くの川原で遊ばせていた。僕は、子供たちの相手をしたことは一度もない。ずっと飛行機の整備をしていた。

(「飛行機の証明」)

2008/06/08/Sun.

『ゴルゴ13』にはゴルゴの出生譚が幾つかある。本書はそれらをまとめたアンソロジーで、2巻からなる。それぞれに収録されているエピソードは以下の通り。

「THE FIRST VOLUME」

「THE SECOND VOLUME」

ゴルゴの裏話

ゴルゴのルーツはいまだ明らかになっていない。特徴的なのは、各作中でゴルゴと目される人物の父もしくは母 (あるいは両方) が、必ず日本人に設定されていることだ。まァ、ゴルゴが完全に日本と無関係の人物であると白けてしまうというのはよくわかる。

出生譚の他にも、現在のゴルゴの個人情報 (ゴルゴが仕事を遂行する上で構築しているシステムの裏話など) が明らかにされるエピソードは多い。

なんかが有名だろうか。時代が下るにつれて裏話が多くなるのは、作品の老化だろうか。と思わないでもないが、マニアにとってはやっぱり嬉しかったりするのだから、足下を見られているというか。

2008/06/06/Fri.

『MORI LOG ACADEMY』の第9巻。副題は「おあとがよろしいようで」。2007年 10〜12月のエントリーが収録されている。

2008/06/03/Tue.

西原理恵子の無謀な挑戦を描いた「できるかな」シリーズ 3作目。

本書は大きく分けて、

となっている。特に「脱税編」は爆笑ものである。西原の会社「(有) とりあたま」に課せられた追徴課税 1億円を、1500万円にまで値切る過程が怒濤の勢いで描かれている。

「ホステス編」は、西原がホステスとしてキャバレーで働く話。高須クリニック院長、北方謙三大沢在昌などの大物が、西原を一目見るために訪れるという破格の展開を繰り広げる。その一方で、キャバレーで働く女性達、客として訪れる男達の描写があるなど、ドキュメンタリーにも似た構図を合わせ持つ。非常に味わい深い。

その他にも、『できるかな』以外の漫画や、ゲスト出演した人間が寄稿したエッセイ・漫画などが収録されている。

2008/06/02/Mon.

各界著名人が選ぶ『ゴルゴ13』のエピソード集。類似の選集に『BEST 13 of ゴルゴ13 / READERS' CHOICE』『BEST 13 of ゴルゴ13 / AUTHOR'S SELECTION』がある。

本書の選者および選択された作品は以下の通り。

それにしても麻生太郎閣下が選者に入っていないのは何故か。あまり麻生太郎閣下を怒らせないほうがいい。いや、これは後日『TARO ASO'S SELECTION』が出るということなんだろうなァ。

オールド・ファンは初期のシブい傑作を選ぶなど、なかなか味のある選択をしていて面白い。各エピソードの後には選者へのインタビューが収録されており、そこに本書の価値がある。

同業者 (秋本治、浦沢直樹) がさいとう・たかを (とそのプロダクション制度) を褒め称えているのに対し、富野由悠季がいささか批判的だったのが興味深い。

「ただ、上手なアシスタントさんもいるだろうに、全部さいとう・たかをの絵のトーンに落とし込んでいくという誘導が見える箇所があって、せっかくスタジオ・ワークなのに、監督しているさいとう・たかを一人がすべてを創ったかのように見えるのが、僕は少し不満はあります」

「そして、こうまでスタジオワークの製品にまとめているのは、ものすごく良いことであると同時に、反面、好き者以外に寄せ付けない部分を作ってしまっている面があるともいえるのです」

「つまりこれは、10年後、20年後、さらにその先も『ゴルゴ13』という作品を継承する、次の世代が登場してくるのか、という話なんです。(中略) でも仮に第2世代、第3世代にまで継承させようと思ったら、好き者ばかりではだめで、異能の才を入れなくてはいけません」

(富野由悠季インタビュー)

漫画とアニメの違いはあるが、『機動武闘伝Gガンダム』をあくまで「ガンダム」の名の下に作った富野の言葉だと思うと重みがある。『Gガンダム』は富野の監督ではないが、この件については Wikipedia にも詳細がある。

今川泰宏を『機動武闘伝Gガンダム』の監督に推薦したのは富野で、富野が今川に「ガンダムをぶっ壊してもらいたかった」という理由からである。

(Wikipedia - 富野由悠季)

とはいえ、『ゴルゴ13』に求められているのは「サザエさん」や「ドラえもん」と同じ機能である、という見解も存在する。『ゴルゴ13』が「進化」することを求めない読者もまた多いだろう。

他には、佐藤優のインタビューが面白かった。

「基本的には国家は暴力装置を自前で持ちたがりますから、殺し屋には依頼しないですよね。でも、あたかもそういうことがありうるんだ、っていう雰囲気を『ゴルゴ13』はうまく出しているところがいいですよ」

「だから、日本が直接暴力を行使できない片肺の安全保障、こういう状況において面白い物語と思うんですよね」

「たぶん外国人が読んでも日本人の読者が感じる、依頼者がゴルゴに復讐を肩代わりしてもらう悲哀だとか、あるいは逆にゴルゴの狙撃で一気に解決するスカッとした味わいは得られ無いでしょう」

(佐藤優インタビュー)

「『ゴルゴ13』は日本において面白い物語」という評には得心がいった。大統領が戦闘機に乗って宇宙人を撃退するアメリカの映画や、あくまで MI6 という政府組織に所属するイギリス人スパイの映画と、この点において『ゴルゴ13』は違う。「復讐を肩代わり」というのも日本的といえば日本的である。要するに『七人の侍』なんだよな。

ゴルゴの抜き撃ちは居合いである、とさいとう・たかを自身が語っているように、『ゴルゴ13』は時代劇を強く意識している。

「『銃殺人ひとり』でも通りすがりのゴルゴを、銃の扱い方から「あの男はプロだ」と依頼人が見抜きます。無念さと敵討ち、凄腕の流れ者といった道具立てに、現代の話でありながら時代劇っぽさを強く感じましたねえ」

(秋本治インタビュー)

色んな読み方を許すのが『ゴルゴ13』の良いところだよなあ。そのために彼は黙っているといっても良い。

2008/06/01/Sun.

題名に添えられた「日本・中国・朝鮮」の文字からもわかるが、本書は司馬遼太郎 (日本)、陳舜臣 (中国)、金達寿 (朝鮮) の鼎談を収めたものである。

何かと問題を抱える現代の三国ではあるが、長い歴史を通じて (良くも悪くも) 常に相互作用してきた。にも関わらず、これらの国々はあらゆる面で大きく違い、それぞれがユニークな面を持つ。

鼎談では、三国のみならず、モンゴルなど他のアジアの国々、欧州、米国なども引き合いに、様々なテーマについて語られる。言語、文字、武器、政治、ナショナリズム、民族、文明、文化、家庭、風俗、慣習、食、職、宗教、戦争、近代化、vs 欧米、などなどなど。各主題について交わされる議論の豊饒さ、各人の知識の深さ。理論的に話題が掘り下げられていく様は、とても鼎談本とは思えないほどだ。

各人が、自国を必要以上に自慢することもなく卑下することもない。また、他国を過剰に持ち上げたり蔑視することもない。歴史、国、人々に向けられる愛情が読者にも伝わってくるような、爽やかな読後感を覚える。

セクション毎に注釈が付されており、ともすれば説明不足に陥りがちな会話を補足する。少頁ながら充実した 1冊。