- 『731』青木冨貴子

2008/03/06/Thu.『731』青木冨貴子

副題に「石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く」とある。大変な力作である。

石井四郎軍医中将 (終戦時) 率いる関東軍防疫給水部——これは同時に陸軍軍医学校防疫研究室でもあるのだが——、その満州部隊 (通称「731部隊」) については、近年になって研究が進む一方で、関係者の物故もあり、いまだに解明されていない謎も多い。

本書最大の眼目は、著者が発見した石井四郎直筆のノートである。石井が女中の渡邊あきに託した「1945-8-16 終戰当時メモ」および「終戰メモ 1946-1-11」の 2冊には、これまで明らかにされてこなかった石井の行動が克明に記されている。石井四郎および 731部隊の研究者達は、満州の施設で行った人体実験、細菌頒布作戦の結果を GHQ へと引き渡す代わりに戦犯訴追を免れたとされている。その決定的な証拠が、どうもノートには記されているらしい。しかし石井のノートは、余人に読まれるのを恐れてか、様々な略語・隠語が駆使されており、読解には当時の状況を詳細に知る必要がある。

筆者は、石井の出身地から取材を始める。典型的な田舎秀才であった石井四郎に、いかにして時代の怪物が取り憑き、稀代のマッド・サイエンティストが生まれたのか。石井の他に誰が、いつ、どういう役割で 731部隊に関わったのか。当時の世界的情勢、とりわけ米軍の動きはどうであったか。筆者は日本国内を始め、米国公文書館、満州の施設跡を丹念に歩き回り、数々の新証言、新資料を発掘しながら 731部隊の実像を炙り出して行く。

当時の空気、石井四郎という人間像、731部隊という組織、その内部で作戦に従事する者達、終戦時の混乱、内部に亀裂を抱える GHQ の動き、日本と米国の思惑……。その複雑な網の目を通し、改めて石井のノートを精読すると、731部隊と GHQ の間でどのような「決着」が付けられたのかが見えてくる。

終戦直後、石井四郎が満州から帰国して若松町の自宅にいることをほんの一握りの米占領軍トップは知っていたのである。にもかかわらず、その事実を隠し、石井尋問を切望していたサンダースを欺いたのである。欺かれたのはサンダースばかりではなかった。石井四郎の居場所を探し回った参謀二部傘下の対敵諜報部隊をはじめとする占領軍のすべて、さらにはワシントンの米政府までもが含まれる。

(中略) <ミスター・イシイを知っているか>という問いかけに対し、<まだ満州に居って帰らぬ>と答えたのは、口裏合わせをした石井部隊員だけでなく、石井の居場所を知っていた占領軍トップもであった。

(第九章「終戰メモ 1946」)

731部隊と GHQ の高官の間で密約が結ばれ、それが既定路線としてワシントンの方針に変化する。結果、満州で捕縛した部隊員からの情報で独自に調査を進めていたソ連は、あと一歩のところで米国との情報戦に敗れ去った。

米国は、石井部隊の戦争犯罪を法廷に持ち込むことなく、欲しいデータを独占することに成功した。

(第十章「鎌倉会議」)

石井が精彩を放っていたのは終戦直後までで、その後は平凡以下の小者として日々を送ったようだ。家計の困窮に頭を悩ませ、老母を気遣い、子供の教育に心を砕く。ノートには、そのような些事が面々と綴られている。かつて石井四郎の部下であった内藤良一がミドリ十字を創立し、研究に携わった医学者が次々と学会の重鎮になっていく様とは対照的である。

かつての石井部隊隊長は彼らの研究を米国へ手渡し、しかも自宅で「若松荘」(T註: 米高官のための売春宿) を営むことを強要されたのである。細菌兵器という妖怪に取り憑かれた石井四郎というマッド・サイエンティストは、こうしてひとりの平凡で小心な男になった。

(第十一章「若松町」)

731部隊とは何であったのか、石井四郎とはいかなる人物であったのか。冷静な著者の視点と筆致は、我々が熟考するに充分な材料を提供してくれる。