- Book Review 2008/01

2008/01/24/Thu.

本書の中にも「僕周辺の雑多な状況を、『趣味が広い』とよく形容される」という記述がある通り、森博嗣は多趣味である。実をいうと、冒頭の引用文のタイトルは『Vol. 6 僕は多趣味ではありません』なのだが、このギャップは「趣味」というものをどう捉えるか、という問題に帰着する。この本は趣味論である。少なくとも、そういう読み方ができる。

本書には、著者の趣味である鉄道、飛行機、その他各種の模型、自動車、ぬいぐるみなどなどが、多数のカラー写真とともに紹介される。同じ趣味嗜好の人間であれば、写真を眺めているだけでも楽しめるに違いない。そうでない人も、上述した通り、趣味論として読めば得るところがあるだろう。

2008/01/12/Sat.

副題に「『銀河のたまご』からブラックホールの新しい顔まで」とある。電波天文学の本である。

古典的な天文学が長らく眺めていたのは「光」だけだった。しかし光学的な解析には限界がある。例えば、宇宙の所々が染みのように黒くなっている暗黒星雲、あれは一体何なのか。これは光学的な観測だけではわからない。様々な波長の電波を観測することで、暗黒星雲が低分子の塵の集合であり、それが背後の光を吸収阻害することによって暗く見えていることがわかる。電波によって暗黒星雲が「明るく輝いて」見える写真は、電波天文学の威力を端的に証明する。

本書の第1部では、宇宙のスケール、銀河の構成、星の一生など、基本的な宇宙の知見について述べられる。易しい内容であるが、筆者らの研究成果を中心に記述される第2部からグンと中身が濃くなる。電波望遠鏡による暗黒星雲の観察、塵の中で形成される原子星の構造とその原理、ブラックホールや銀河の観測、既知のデータと新たに得られた知見を総合した推測、などなど。電波が照らす様々な宇宙の相貌が豊富なカラー写真とともに語られる。

特に、大規模な観測から原始星が誕生していそうな座標をスクリーニングし、詳細な観測に切り替えて実際にターゲットを発見する流れを描いた第3部では、現実の天文学研究がどのように行われているのかがよく理解できる。巻末には簡単な用語解説と参考文献リスト、索引が付く。

現代天文学の現場を見せてくれる良書。

2008/01/07/Mon.

なぜか地球にいる火星人の火星田マチ子は、恋の何たるかを知るために挑戦と失敗を繰り返す。

1話 4ページという分量で不条理な展開が繰り広げられるのだが、今読むとチョット苦しいなあ、というのが正直な感想だ (連載されていたのは 1991年)。シュールではあるのだが、それは (今の視点からすれば) 既に記号化された「シュール」であって、実際に名状しがたい気分に陥るわけではない。もっとも——、僕達がこれほどまでのシュール耐性を獲得できたのも吉田戦車の作品に拠る部分が大きいのだが。

文章家としても定評のある吉田戦車だが、本書にも『泣き虫四十歳』という付録小説が収録されている。マチ子の父・ジュンが主人公の短編であるが、吉田本人の顔も垣間見えるようで面白い。

2008/01/06/Sun.

『本格ミステリー宣言』『本格ミステリー宣言 II ハイブリッド・ヴィーナス論』に続く、島田荘司御大の本格論。

島田御大のいう「本格」あるいは他の用語 (「探偵小説」「推理小説」「ミステリー」などなど) に関する論は基本的に変わっていない。前二書と比べて随分と柔らかくなっているなあ、という気はするが。

島田本格ミステリー論の要諦は、「前段の不思議と、後段におけるその論理的な解明」という極めてシンプルなものである。「前段の不思議」は犯罪関係であることが望ましいが、それは必要条件ではない。むしろ 21世紀御大は、犯罪以外の分野に不思議を見出そうと勤めていることが実作や本書から伺える。

一方で、いわゆる「社会派」的な興味も旺盛である。例えばそれは冤罪問題、裁判問題、死刑問題、歴史問題、環境問題であったりする。これらのテーマに関して御大は幾つかのノンフィクションを発表しているが、同時により多くの小説を発表している。恐らく取材の過程で、各テーマに関する「自分なりの話」が大きく膨らんでいくタイプの人間なんだろうなあ、という気が以前からしている。

オリジナルの小説にしてもそうで、例えば加納通子の生涯だとか、御手洗潔のバックボーンだとか、犬坊里美の進路だとか、島田御大が妄想型の作家であることがよくわかる。このあたり、『グイン・サーガ』の栗本薫とよく似ている。

島田御大が探偵小説史に深い関心を持っていることもよく知られている。以前からエドガー・アラン・ポー、コナン・ドイル、江戸川乱歩については随分と色んなことを書いている。本書では『コナン・ドイルはフレッチャー・ロビンソンを殺したか』という小文が掲載されており、なかなか面白かった。これだけでも本書を買う価値がある。

乱歩以降の作家で島田御大が重要視しているのは高木彬光と鮎川哲也である。この 2人に関する小文は以前から書かれており、本書にも複数収録されている。また、本書で最も重要であろうと思われるのは『「森村誠一」試論』だ。島田御大が森村誠一についてまとまった文章をものにしたのはこれが初めてだったはずだ (発表自体は 1998年であるが)。また、大藪春彦論である『報復のターミネーター、伊達邦彦』も興味深い。

というわけで、島田ファン必読の 1冊。

2008/01/05/Sat.

本書は爆笑問題の「日本史原論」の「犯罪史編」である。ネタにされているのは、

の 12件。

犯罪と、爆笑問題 (というか太田光) が得意とする毒舌あるいはブラック・ユーモアは、一般的には相性の良い組み合わせである。が、どうも本書は他のシリーズに比べてあまり笑えなかった。現実の事件の方が太田のネタよりも面白いのである (笑いとは別の面白さであるが)。

帝銀事件、3億円事件、パリ人肉食事件 (いわゆる佐川事件) などは強烈な印象があり、事件そのものが太田のネタを喰ってしまっている。特に 3億円事件は陰惨でも悲惨でもなく、事件自体がスーパー・エンターテイメントであるのだから、さらに分が悪い。事件 = ネタの選択に失敗したかな、という感想を私は抱いたし、似たようなことを太田自身も「あとがき」で述べている。

一方、石川五右衛門や鼠小僧次郎吉あたりは実像が定かでない部分もあり、また時の流れや後世の創作が事件の印象を牧歌的にしていることもあって、いつもの「原論」的な面白さがあった。

ちょっと惜しい 1冊。