- 『古希の雑考』岸田秀

2007/02/03/Sat.『古希の雑考』岸田秀

副題に「唯幻論で読み解く政治・社会・性」とある。

著者の主張は以前からよく知られている。いわく、人間は本能が壊れた生物である。したがって、世界に適応するための様々な幻想を作らずには得られなかった。共通の幻想を通じて形成された集団が社会であり文化である。自己を形成するための幻想が自我である。世界と交流する自我が外的自己であり、断片化された本能を統御・抑制・実行するのが内的自己である。外的自己と内的自己はしばしば分裂する。人間が大抵において精神を病んでいるのはこれゆえである。自我は過去の自我と連続していることによって成立する。これが「時間」の認識の発生である。自我のない動物には時間認識はない。自我の集団である社会や文化にも精神分析の手法が通用する。などなど。

本書は、様々な媒体に発表された短文を集めたものである。したがって分析の対象も多岐に渡る。特に面白いのがアメリカ合衆国に対する分析である。個人の精神分析においてその個人史が重要なように、社会・文化・国家を分析するには歴史を繙くしかない。日本から見て「アメリカ、ちょっとおかしくないか」と無意識に思っていることが、本書では明確に言語化されている。手法上、分析は多分に主観的であるが、そういう解釈もできるのかと面白い。

分析のメスは日本にも入れられる。太平洋戦争、戦後の官僚組織、戦後民主主義、教育問題について大変辛口に批判している。いたずらに攻撃しているわけではなく、特に歴史認識についてはイタいところをエグり出してくるので、1人の日本人としてまことに辛い部分もある。個人がトラウマを抱えているように、国家もまた (日本だけではなく) トラウマを抱えていることがよくわかる。トラウマを克服するには、まずそれを直視せねばならぬ。

他には、ペルーのフジモリ元大統領を弁護した文章が興味深かった。岸田はフジモリを (反論についても考慮しながら) 徹底的に弁護している。彼らは留学先で個人的な交流があり、それがずっと続いているらしい。フジモリ元大統領については日本でよく報道されるが、一般には知られない情報も多々あることを本書で知った。

気軽な話題も多い。現代の若者の性意識に眉をひそめる一方で、著者が若かりし頃の性体験があっけらかんと開陳されていたりして共感が持てる。「白人 (アルビノ) は黒人を祖とする原始人類社会で被差別者であった」「ユダヤ教 (一神教) は被差別者の宗教で、キリスト教はさらにその中の被差別者の宗教だった」など、驚くべき妄想的 (これは著者自身が言っている) 仮説もある。非常に面白い。

人類皆、キの字であることがよくわかる 1冊。