- 『精神鑑定 脳から心を読む』福島章

2007/01/30/Tue.『精神鑑定 脳から心を読む』福島章

精神医学や心理学は果たしてサイエンスなのか、という疑問を以前から抱いている。これらが科学になるためには冠に抱いている「精神」や「心理」を定義せねばなるまいが、そもそも精神や心理というものは「サイエンスが扱わない事柄」という形での逆定義すら可能な、非常にややこしいコトである。「事柄」「コト」と書いたのは、精神や心理はモノではないからだが、モノでないものを科学的に扱うのは難しい。もちろん、サイエンスでないからといって、精神医学や心理学の価値が低まるわけでは決してない。ただ、これらが経験知としての学問体系であることは事実である。

重大事件の犯人の精神鑑定は、慎重を期して何度も行われることが多い。そのたびに違った結論が出てくることもある。これがまた我ら素人に不安を抱かせる。専門家の間でも見解が分かれるとはいかなることか。しかも、その鑑定結果によって犯人の処遇が (ときには命すらも) 左右されるのだから、曖昧なことでは許されない。

著者は長年、司法の依頼によって様々な被告の精神鑑定を行ってきた精神医である。本文中でも、上に述べたような精神医学の限界が何度も説かれる。著者の鑑定は慎重なものであるが、私が大きく感銘を受けたのは、鑑定に入る前に著者が行う、徹底した調査にある。重大事件では厚さ 1 m にも及ぶという公判記録を読み、被告の家族構成、生い立ち、経歴、学歴、職歴、家族歴を徹底的に追跡する。現場に足を運び、家族を訪ね、学校から指導要領を取り寄せる。ほとんど刑事である。その上で被告と面談し、最適なテストの組み合わせを行い、総合的に鑑定する。本書の中では、テストの具体的な内容、実際にあった事件の犯人のテスト結果などが詳しく描かれ、読者は精神鑑定の実際を目の当たりにすることになる。

長年の経験から、顕著な精神動向を表す被告に対して、著者は精密な医学的診断を行うことにしている。最も力を入れているのが、CT スキャンなどによる脳の造影である。テストで異常な結果を出した人間には、しばしば梗塞などの物理的な異常が見付かるという。もちろん、脳の物理的な異常が即精神の異常と結びつけられるわけではないし、精神に異常があるからといって脳に損傷があるとは限らない。著者は控えめに書いているが、どうも何らかの因果関係を想定できる程度には、両者に相関があるという。これはモノとして精神がサイエンスの土俵に立つ足がかりとなるやもしれぬ。もちろん、優生学のような危険思想は慎重に排除されねばなるまいが。