- 『まともな人』養老孟司

2007/01/28/Sun.『まともな人』養老孟司

2001年 1月から 2003年 9月までの時評である。政治・外交と教育に関する主題が多い。アメリカ同時多発テロ (2001年 9月 11日) を挟んだためと思われる。

日本の政治、経済、外交については非常に悲観的である。とはいえ、これはもうなるようにしかならない、という部分もある。筆者の筆が淡々としているのはそのためだろう。一方で、教育問題についてはトーンが高くなる。かなり厳しい (人によっては過激と思うかもしれぬ) 意見が繰り返される。

私が関係する保育園が引っ越したいと思って、適当な場所があったから土地の交換を申し入れた。そうしたら、保育園はダメだという。ウルサイというのである。ご本人は市に寄付した土地だから、法的に反対の権利があるわけではない。しかし保育園にするなら反対運動をするという。

子どもを大切にするとは、べつに甘やかすことではない。だからウルサイと嫌われたっていいのである。欲をいうなら、私はせめて「ウルサイけど」の「けど」が欲しいだけである。ウルサイけど、子どもたちのためだ、まあ仕方がないか。大人にその余裕がなくなったら、国の将来は危うい。

子どもはウルサイけれど、この貧乏国には、資源といえば、それしかないんですよ。

(「『親の責任』と乱暴に決めつけるな」)

その通りである。まことに複雑な気持ちになる。

少し話は変わる。私は今年で 27歳になるが、この年代の人間の発言力は、特に既存メディアにおけるそれは、まだまだ小さい。社会的には若造であり、スポーツ選手などの一部を除けば、この年齢では確たる立場を築けていない。したがって、世にある私の同胞が「少子化」ついてどう考えているのか、それを知る機会が少ない。メディアの中ではジジイやババア、オッサン、オバハンが「子供を産め」と力んでいるが、これは我々に対する圧力であろうか、と思うことがしばしばある。

私だって、我々の世代が頑張って子供を産み育てなければならんなあ、ということは理解している。しかしそれとこれとはまた別の問題である。同年代の方には理解して頂けるに違いない。私達はどうしたら良いのだろうか。本気でそんなことを考えてみたりする。