副題に「フツウの男をフツウでない男にするための 54章」とある。塩野七生による男性論であり、日本とイタリアとの対比が多い。たまにイギリス男も現れる。話題は多岐にわたる。
塩野七生のいう「フツウでない男」は、文字通り「フツウでない」。
人々が拠って立つところの常識は、尊重はしなければならないが、自分自身では守らなくてもよい。
(『成功する男について』)
個人的に「考え方」としては大賛成なのだが、とても実行はできない。常識は守らざるを得ない、という場にいること自体がダメなのだ、といわれたら反論できないが。
セックスは、九十歳になっても可能だと思うこと。
(『男が上手に年をとるために』)
不可能だとかいう以前に、90歳まで生きる自信がない。
結局のところ、男にとっての勝負は、人間味に落ちつくということなのであろうか。
(『腹が出てきてはもうおしまいか』)
散々書いてきて、最後にコレ。そりゃないだろ、先生。タイトルもスゴいな。
とはいえ、何事も塩野センセイのおっしゃる通りにする必要はない (当たり前だが)。いみじくも、本書の冒頭に、こうある。
つまり、ここで言いたい「頭の良い男」とは、なにごとも自らの頭で考え、それにもとづいて判断をくだし、ために偏見にとらわれず、なにかの主義主張にこり固まった人々に比べて柔軟性に富み、それでいて鋭く不快洞察力を持つ男、ということになる。
(『頭の良い男について』)
というわけで、「頭の良い」男性同志諸君には、自らの判断でこの書を読んで頂きたい。という他ない。面白い本であることは確かである……と、褒めようとしたら。
利口ぶった女の書く、男性論なんぞは読まないこと。
(『男が上手に年をとるために』)
続編『再び男たちへ フツウであることに満足できなくなった男のための 63章』の存在は何なんだ。