- 『司馬遼太郎が考えたこと 8 』司馬遼太郎

2005/08/08/Mon.『司馬遼太郎が考えたこと 8 』司馬遼太郎

司馬遼太郎随筆集第8巻。1974年 10月から 1976年 9月までに発表された文章が収録されている。

俺が特に興味を持った話題は、中国と田中角栄の 2つである。

当時の中国について、司馬は手放しで褒めている。中国の近代的発展を阻害していたのは牢固とした儒教制度にあった。実際、司馬が若い頃には『支那は生存し得るか』という凄いタイトルの本が米国で出版され、日本でも翻訳されたという。司馬は儒教を「大文明 (儒教文明)」と規定した上で、「それを捨てねばならないが捨てたきりでは思想の大空白」ができるため、「埋めるにはあらたな普遍的思想を生み出」さねばらない、と主張する。そして当時の中国では、毛沢東主席のもと、「人間が安堵して生きうる社会が、おそろしいほどの陽気さで出来上がっている」ともいう。今日から見れば、少々過大な評価ではないかとも思える。司馬の感想の当否はともかく、当時の彼がそのように中国を見ていたという事実が興味深い。

一方、田中角栄を見据える司馬の視線は鋭い。先年から日本の土地問題を憂えていた彼は、田中角栄逮捕の報に接し、こう述懐する。

かれが日本の社会にあたえた測りしれぬ罪禍は、土地を投機の対象にする習慣を経済と日本人の骨髄にまで植えつけてしまったことである。

(『一つの錬金術の潰え - 君子ハ為サザルアリ』)

その後のバブル経済を予見した文章であることはいうまでもない。ちなみに、上の小文が発表されたのは昭和51年、1976年のことである。