- Book Review 2004/12

2004/12/24/Fri.

島田荘司御大の御手洗もの。まだ御手洗が横浜の馬車道にいた頃の話である。

御手洗と石岡の元に、ロサンゼルスのレオナから手紙が来る。「古いファンレターをエージェントから受け取った。私へのお願い事が書いてあるのだが、意味不明な上に米国では調べようもないので、日本で調査してほしい」とのこと。同封されているファンレターは若い女性からのもので、「祖父が米国のさる女性に謝りたいのだが、それが叶わぬからレオナに代理で行ってほしい。箱根の旅館の写真さえあれば、その人があそこまで苦労することもなかったのにと悔やんでいる」という内容。

レオナは取り敢えずファンレターの通りに「さる女性」を訪ねたのだが、彼女は既に他界していた。また、そのファンレターの送り主も、その祖父ももうこの世にはいないという。依頼主も依頼先もない調査であるが、暇を持て余していた御手洗と石岡は、謎の究明に乗り出すことにした。

幽霊軍艦

御手洗達はまず、ファンレターで言及されていた「箱根の旅館」に赴くことにした。そこは箱根でも老舗の高級旅館であり、明治政府が外国高官と会談するときによく使われていたという。その旅館に非常に奇妙な写真があると聞き、現物を見せてもらうことに。そこに映っていたのは、芦ノ湖に浮かぶロシアの軍艦、桟橋から上陸してくる日本とロシアの軍人、そして一人の女性。

写真は合成ではなく、軍艦に描かれているロシア帝国の紋章も本物。しかも、実際にここから上陸した軍人を、この旅館に泊めた事実があるという! 言うまでもなく、箱根は険しい山岳地帯であり、芦ノ湖は山間湖である。どこからも軍艦は入ってこれない。いったいこの軍艦は何なのか。この写真に映った光景は現実にあったことなのか。……御手洗の推理が始まる。

どこまで嘘かわからない

「どこまで本当かわからない」という言葉があるが、島田御大の著作を評すならば、「どこまで嘘かわからない」のである。芦ノ湖に浮かぶロシアの軍艦とは、これまたとんでもない「絵」を思い付くものだ。それをお馴染の強引な筆力でねじ伏せてしまう本作は、まこと島田御大らしい「本格」である (言うまでもないが、これは褒め言葉である)。あらすじを書いただけでは、とんでもないヨタ話にしか思えないが (結末を書いたところでそれは同じであろう)、これはもう「読まないとわからない」としか言い様がない。島田御大のファンは先刻御承知のこととは思うが。読むべし。

2004/12/01/Wed.

『ローマ人の物語』単行本第VI巻に相当する、文庫版第14〜16巻。『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後』の続刊である。

アウグストゥス

カエサルから家門を継いだオクタヴィアヌスだが、帝政以前のローマには「権力の世襲」という発想がない。それは「王政」であり、民主共和制よりも「劣った」制度である、というのが彼らのリアリズムであった。ゆえに、オクタヴィアヌスがカエサルの遺志を継いで帝政を目指すなら、その実力を元老院とローマ市民に示さなければならなかった。

とはいえ、彼はカエサルから様々なものを受け継いでいた。最も大きなものはカエサル家の名跡と、彼の片腕となって働くことになるアグリッパである。身体が弱く、戦争が苦手であったオクタヴィアヌスは、大部分の戦闘と、ときには内政の一部までをも忠実なアグリッパに委ねる。結果、彼らと対立するアントニウスを破り、ローマの覇権を手に入れる。地中海世界に平和 (パクス) をもたらしたオクタヴィアヌスに、元老院は「アウグストゥス」(第一人者) という称号を与える。

帝政へ

しかし、アウグストゥスが目指しているのは「帝政」である。ローマ人が嫌悪するこの制度へ、どう移行するか。筆者の言を引用すれば、彼の最大の武器は「持続する意志」であった。彼は決して「帝政」という言葉には触れず、あまつさえ、表面的には共和制を支持さえした。アウグストゥスが実行したのは「合法的な」「事実上の」帝政であった。

合法的な、とはどういうことか。彼は様々な特権 (護民官特権、全軍最高指令権、その他種々の権威) を、全て元老院での可決によって手に入れる。少なくとも形式上、彼はその地位に「選出された」わけである。

また、事実上の、とは、彼が「皇帝宣言」に類する声明を出していないことを指す。そこが秦の始皇帝とは違うわけで、だから「皇帝」という独自のローマ語はない。全軍最高司令官を意味する「インペラトール」(もちろん「エンペラー」の語源) が、後に「皇帝」を意味するようになる。

実に巧妙に、アウグストゥスは目標を達成した。しかしそれも「持続する意志」があったればこそ、である。彼が推し進めた改革は、数十年がかりで成し遂げられたものも少なくない。急な改革は、ローマ人の「帝政アレルギー」を発症させるからという理由もあるが、それほど「パクス・ロマーナ」(ローマによる平和) の完成は難しかったということである。

血への妄執

さて、アウグストゥスが体現した制度、それは本当の「帝政」であったのだろうか。彼は確かに独裁的権力を手にした。しかし「独裁制」が必ずしも「帝政」とは限らない。前者は後者の必要条件であるが、充分条件ではない。帝政は、「血統による権力の委譲」をもって成立する。この点、アウグストゥスは恵まれていなかった。

彼は、成人した息子が得られなかった。娘のユリアは、腹心アグリッパを含め、様々な男に嫁がされるが、ようやく得られた 2人の男孫も、若くして死ぬ。「合法的」にこだわったアウグストゥスだったが、この孫達には、ローマ史上前例のない特権を与えるなど、自分の「血」を受け継がせることに、異常なまでの執着をみせている。だがそれも、結局はかなわなかった。

「2代目」の「皇帝」となるティベリウスは、アウグストゥスの有能な部下であり、娘・ユリアの夫であり、申し分ない家柄の出身ではあるが、アウグストゥスとの血のつながりはない。これって帝政?なんてことを読みながら思った。どちらかというと、古代中国の「禅譲」に近い。

こうして始まったローマの「帝政」だが、果たしてどのように受け継がれていくのだろうか。ちなみに、3代皇帝はカリグラ、5代皇帝はネロであり、ここらへんは俺も名前(というか悪名)は知っている。皇帝制度がどのように推移していくのか、それが次巻以降の興味である。