- 『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後』塩野七生

2004/10/29/Fri.『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後』塩野七生

『ローマ人の物語』単行本第V巻に相当する、文庫版第11〜13巻。『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前』の続刊である。

賽は投げられた

元老院が主導するローマを解体するため、ガリア戦役を終えたカエサルは、軍勢を率いたままルビコン川を渡る。賽は投げられたのだ (ローマの法では、戦役を終えた将軍は、ルビコン川より北 = ローマ本国の外で軍勢を解散しなければならないと定められている)。

カエサルの軍はローマを目指して進軍する。元老院議員達は慌ててギリシアに逃げ出した。ここでカエサルは一つの過ちを犯す。三頭政治の一角を担いながら、今や元老院派となっていたポンペイウスのギリシア逃亡まで許してしまったのだ (このとき、クラッススは既に亡くなっている)。こうして、ギリシアで兵を集めたポンペイウスとの、地中海世界を巻き込んだ、ローマ始まって以来の「内乱」をカエサルは闘うことになる。

来た、見た、勝った

苦戦の上にポンペイウスを打ち破り、その残党を始末する過程で、カエサルは地中海全土を回ることになる。このとき北アフリカで、クレオパトラとも知り合うこととなる。内乱を平定したカエサルは、ローマ市民の圧倒的な支持を受け、10年間の任期を持つ独裁官 (ディクタトール) に任命される。これまでも独裁官という職制はあったのだが、それは徳川幕府の大老のような地位であり、あくまで臨時職であった。カエサルはそれを常例化したのである。皇帝制への第一歩であった。

ブルータス、お前もか

独裁官として権力の集中化に成功したカエサルは、様々な改革を打ち出す。しかし、それを苦々しく思いながら見つめていた一派があった。

注意しておかなければならないのは、当時のローマ人は「王政」にアレルギーを持っていたという事実である。カエサルは優秀である。だから、彼に独裁的権力を握らせることは良い。しかし、カエサルが「王」となるならば、強烈に反発される素地はあったのである。カエサルが「皇帝」というものを、どれくらい具体的に考えていたかはわからない。ただ、彼はローマ人の性質も知悉していたので、自らが「王」と称される、あるいはそう勘違いされることのないよう、非常に心を配っていた。

ところが、あるお調子者が公式の場で、カエサルのことを「我らが王よ」などと呼んでしまった。これが反カエサル一派の殺意を決定的にした。また、カエサルは言い訳をする暇もなく、次なる遠征へと旅立たなければならなかった。暗殺派からすれば、遠征前にカエサルを弑さなければならない。カエサルは常勝将軍であり、今回も遠征から凱旋してくるとなると、暗殺のタイミングとしてはマズくなるからだ。これらの事情が、後世の我々から見たら性急とも思える暗殺劇の遠因となっている。

こうして紀元前44年 3月 15日、カエサルは元老院会議が始まろうとする場で暗殺された。彼のいまわの際の言葉、「ブルータス、お前もか」はあまりにも有名だ。ここで名前が挙がっているのは、カエサルの愛人・セルヴィーリアの息子であるマルクス・ブルータスではなく、カエサル軍の将校として腕を振るったデギムス・ブルータスであるという説もあり、著者もそれに賛同している。

帝政か共和制か

カエサルの遺言状には、自分の後継者として、彼の妹の孫であるオクタヴィアヌスが指名されていた。後の初代ローマ皇帝・アウグストゥスである。しかしこの時点では、彼はまだ誰にも名を知られない一人の若者に過ぎなかった。この後継者指名に反感を持ったのが、カエサルとともに執政官を務めていたアントニウスである。以後、両者の熾烈な政治闘争が続くこととなる。

続く「パクス・ロマーナ」も今日買ったので、読んだら紹介する予定。