- 『名探偵 木更津悠也』麻耶雄嵩

2004/05/28/Fri.『名探偵 木更津悠也』麻耶雄嵩

木更津が探偵役の連作短編。勿論、ワトソン役は香月実朝。収録作品は、

の 4編。文庫派の俺だが、麻耶雄嵩はノベルス版が出たときに購入することにしている、数少ない作家の一人である。それほど評価しているというわけだ。彼の作品の魅力を語り出すと長くなるのでやめる。そもそも、なかなか正確に理解してもらえない。麻耶雄嵩を本気で「面白い」と感じるは、「もう探偵小説は読み飽きた」というくらいのミステリーマニアじゃないかと思うからだ。

名探偵の条件

収録作品には、いつもの麻耶作品に見られる、極度なアクロバットはない。どちらかと言えば、オーソドックスなタイプだ。

しかし、短編集としてのコンセプトが面白い。名探偵が名探偵たり得る根拠とは何か、とでも書けば良いだろうか。事件を解決すれば名探偵ではない。そこには様々な制約、そして越えなければならないハードルがある、というのが香月実朝の主張だ。あえて「作者の主張」と書かなかったのは、これはいつものことなのだが、麻耶雄嵩という作家、どこまで本気で、どこまで冗談かが全くわからないからなのだが。

ピエロ探偵・木更津

麻耶雄嵩のデビュー作『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』を読了された方なら御存知だと思うが、探偵役の木更津より、ワトソン役の香月実朝の方が、ずば抜けた推理力を持っている (そしてそのことを木更津は知らない)。

では何故、香月実朝が木更津を差し置いて探偵役にならないのかというと、そこが彼の主張なのだが「推理力があるだけでは名探偵になれない」という考え方があるからなのだ。名探偵になるには「名探偵らしさ」を演出する能力がなくてはならない。そしてそれを持っているのが木更津というわけだ。だから香月実朝は、喜んでワトソン役に甘んじ、木更津の活躍を憧憬の眼差しで眺める。

だが、それだけで終わらないのが麻耶雄嵩である。香月実朝は、木更津の推理が行き詰まるたびに、無知を装って助け船を出す。それなら自分で解決すれば良さそうなものだが、あくまで「名探偵」として木更津を立てるわけである。そして何も知らない木更津の活躍を、「さすが名探偵だ」と称賛する。

探偵小説史上、ここまでコケにされた名探偵がいるだろうか? と同時に、麻耶雄嵩はここで問題提起もしているわけだ。すなわち、「推理力は名探偵に必須の条件ではないのではないか」と。無論、木更津には人並み以上の推理力はある。しかし、香月実朝のそれの方が、よほど高級なのだ。

これをとんでもないアンチテーゼだと思うのは俺だけか。