- Book Review 2004/03

2004/03/17/Wed.

以下、日記から。

今月、甲野善紀の文庫最新刊『表の体育 裏の体育』が出たので、早速買って読む。どうやら処女作が復刊されたものらしい。この本では、一章を割いて「肥田式強健術」なるものについて記している。これは肥田春充が創始した健康法で、古武術における「丹田」を応用した「聖中心」に重きを置いている。

この「肥田式強健術」を説明するため、著者は肥田の著書『聖中心道・肥田式強健術・天道療法』から多量に引用している。この引用文が凄いのだ。まず、肥田式強健術の要となる聖中心とは何か。肥田は独自の鍛練中に、突然これを頓悟する。

突如!! 未だかつて経験せざる処の、強大恐るべき力が、腰と腹との中心から迸り出た。

それは、床を突き通して、地中に入り、地球の中心を貫いて、ストーッ。無限の大宇宙を、無限に突き抜けて行った。オオ無限の力だ。無限の力!、無限の力!、オオ無限の力だ。——身も心も震蕩する絶大の力、光明の揺めきだ。生命の躍動だ。これこそは真に、「活ける生命の泉」だ。

なんのことやらわからない。とにかくこれが聖中心を悟った瞬間の記述である。この聖中心を会得した肥田はどのような力を得たのか。「無限の力」とはどのようなものなのだろうか。

私は狂喜した。更に斜腹筋運動の気合応用練習法を試みて右足を力強く、踏みつけた瞬間……ボクッ——オヤッ!! 杉の八分板は、綺麗に足の形に踏抜けているではないか。二回、三回、ボクッ、ボクッ、何の手応えもなく、踏抜けて仕舞った。第四回、ボキーッ、終に太い根太迄も、踵の形を立派に残して、ヘシ折れて仕舞った。この時の板も、根太も、今記念として私の道場に飾られてある。

「オヤッ」じゃねえよ! もう爆笑である。クセになりそうだ。どの本も、このような記述が目白押しなのでこたえられない。引用されているものの原本を読みたいと思うこともしばしばであるが、貴重な書籍であることが多く、そう簡単には手に入らなさそうなのが残念だ。

2004/03/14/Sun.

「逆説の日本史」シリーズは1巻から読んでいる。最新の第11巻は豊臣秀吉の話である。

秀吉と朝鮮出兵

秀吉という人物は非情に興味深い。正確な出自は不明だが、とにかく下層から関白まで上り詰めたという、とんでもない出世をした男であるのは、まぎれもない事実。戦や経済政策でも高い評価を得ている。同時に、誰もが頂けないと思っているのは朝鮮出兵であろう。惨敗した上、後世にまで悪影響を与えたというので、これは大変評判が悪い。

本書では、前半が秀吉が関白になるまでの話で、ここでは「逆説」というほどのパンチはない (別にこのシリーズは、悪戯に異説を唱えたがっているわけでは決してない)。

後半、かなりのページ数を割いて、朝鮮出兵を記述しているが、ここは結構面白い。そもそも秀吉の朝鮮出兵に関するまとまった記述自体があまりないので、読んでいて普通に面白い。大明征伐については、秀吉は色々と計画している。当時の日本兵が世界最強であったのは間違いない。勝算がなかったわけではないのである。

失敗したのは、造船技術のレベルが低かったことと、致命的に情報が足りなかったことである。あの秀吉が、と呆れるほどの情報不足。やはり、巷間で言われているように、少しボケていたのかもしれない。

秀吉は信長のコピーか

さて、秀吉の各種政策で一番問題にされるのが、実はそれは信長の計画ではなかったのかということだ。検地しかり、刀狩しかり、朝鮮出兵に関してすら、信長のアイデアではなかったのかという本もある。

俺はこの考え方についてはやや否定的である。ちょっと信長を持ち上げ過ぎではないのか。秀吉って、そんなに猿真似ばかりだろうか? 彼は非情に優秀な上、ユニークでもあり、人物としても信長とはタイプが違うとしか思えないのだが。

その点、本書では付かず離れずというところか。秀吉の評価も高いが、信長依存な記述も見られる。いや、俺だって、秀吉の全てが彼自身のオリジナルというつもりまではないけれど。

信長は好きだけど、ちょっと過大評価ではないのか。そう思う人は明石散人『二人の天魔王 「信長」の真実』がおすすめ。信長と足利義教を比較している視点が新しくてショッキング。

2004/03/02/Tue.

最初に断っておくのを忘れていたが、この「Book Review」では、読んだ本について全部記録しているわけではない。かといって、基準を設けて選別しているわけでもないんだが。そういうわけで 1ヶ月ぶりである。

高度成長とは「都市化」である

最近、著者の『バカの壁』がベストセラーになり、『唯脳論』以来の養老孟司ブームである。俺は『唯脳論』が文庫になって以来、著者の文庫本はほとんど買い集めているはずで、それなりに長い付き合いだ。

この本でも、特に目新しい主張はない。著者の主張というか、題材を切る方法論は一貫している。今回は、その方法論を都市主義に用いて時事を論じている。一言で言うならば、「高度成長時代というのは『都市化』であった」「その負の面が今、様々な点で現れてきている」ということか。

この意見については賛成するところも反対するところもあるが、そもそも俺は高度成長時代には生まれていなかったので何とも言えない。

実はどうでも良い

養老孟司を俺が安心して読めるのは、この人、大体において決めつけをしないところが好きだからだ。結論はすごく短いセンテンスでパッと書いてしまうのだが、大抵その後に「まあ、どっちでも良いんだが」という文章がある。これがフォローなんかじゃなく、本当にそう思っているのだということは、一度でも著者の本を読んだ人ならわかってくれるだろう。

東洋の賢人を彷彿とさせるこのスタイルこそ、彼が受ける理由だと思っているのだが。